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11 大病人 「重篤」の現実自覚

移植手術後の闘病中、職場の仲間たちが贈ってくれた千羽鶴。「早く(89)、なおれ(700)×3+1000」で3189羽もいただいた

 もろもろ思いあぐねた末、「移植は考えないでおこう」と結論した。そうなると当面、さらなる治療はない。2007年11月9日、3カ月ぶりに岡山労災病院(岡山市南区築港緑町)を退院した。

 腹水がパンパンにたまったら、また 穿刺 ( せんし ) してもらえばいい。週3回の人工透析に耐えている患者が大勢いる。時々痛い目に遭うくらい我慢しよう。

 …なんとかなるさ…は甘かった。漢検で「腹水盆に返らず」と解答したら零点だろう(「覆水」と書きましょう)。腹水は抜いても抜いてもすぐにたまってしまうのである。

 入院が長引き、備前支局から岡山市の本社新聞製作センターへ異動させてもらっていた。出社して「ぼちぼち(仕事を)やらせてもらいます」と宣言したものの、バス停で立っているだけでふらふらになる。

 日ごとに足が腫れ上がり、体重も確実に0・5キロずつ増加。早くも同28日に一泊入院し、腹水穿刺・再静注を余儀なくされた。

 …新聞記者は足で稼がなきゃ…それでも、自分ではまだ動けるつもりでいた。取材で外出するのを許可してもらおうと、社内診療所の小川弘子医師の診察を受けた。

 「体の現実をちゃんと見つめないと」。普段は眼鏡の似合う優しい女医も、この時の目は厳しかった。労災病院の谷岡洋亮医師に病状を問い合わせてくれたらしい。肝硬変が容易ならぬ段階まで進んでいることを、よくご存じだった。

 <ひと月もしないうちに水がたまってきたでしょう。出歩いたりすると、もっと悪化しますよ>。おっしゃる通り。私はいつの間にか「大病人」になっていた。「オール・ザット・ジャズ」だ。「死の受容5段階」だ。

 重篤な内臓病患者の苦悩はなかなか周囲に理解されない。 黄疸 ( おうだん ) はなく、顔色はさほど悪くない。水音を立てて、日に日におなかが膨らんでゆくだけ。命の瀬戸際に 瀕 ( ひん ) しているとは見えないだろう。

 会社も配慮し、動かなくてもできるデスクワークをあてがってくれるのだが、記者として20年を送ってきた身には、どうにもやるせない。日ごろ、忙しい、もっと休みをちょうだい、と文句を並べ立てていても、外に出て、人の営みを、自然の営みを訪ね歩く仕事が好きだったのだ。

 休職を願い、とにかく自宅で安静を保つことにした。年末までにさらに2回短期入院し、腹水穿刺・再静注、アルブミン製剤の点滴まで受けたが、効果は一時的だった。

 重度の身体障害を抱えていたり、動けない病状にあっても、努力して社会的に立派な活動を続けている人は大勢いる。でも私にとって、このままでは死んでいるのと同じだ。

 携帯を手に取り、岡山大病院移植コーディネーター保田裕子さんの番号を押していた。

メモ

 大病人 脚本・監督伊丹十三、主演三国連太郎の邦画(1993年公開)。カンタータ仕立ての荘厳な般若心経がスクリーンに明るく響き渡る。


 オール・ザット・ジャズ 脚本・監督・振り付けボブ・フォッシー、主演ロイ・シャイダーのミュージカル映画(1979年公開)。エリザベス・キューブラー・ロス博士(精神科医)の「死の受容」学説をキーワードに、ショービジネス界にどっぷりつかった主人公の最後のステージが描かれる。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2009年06月29日 更新)

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