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18 執刀 重い役割担う麻酔医

人体最大の臓器である肝臓を取り換える移植手術。腹水のたまった私のおなかもベンツマーク状に大きく切り開かれ広い術野を確保した

 移植手術のライブが続く。新聞記者がカメラやペンを構えていると、緊張した術者の手元が狂い、あらぬ方向の血管を傷つけたりしそうなものだが、そんな気遣いは必要ない。手術室は密室ではあるが、研修医や他病院のスタッフが見学することもしばしばある。

 無影灯のそばにはビデオカメラが取り付けられ、術野の操作を動画撮影している。外科医たるもの、衆人環視でメスさばきが鈍るようでは一人前とはいえない。

 カメラレンズは2008年3月18日、岡山大病院第5手術室へとパンする。午前10時30分、規則正しいリズムで胸を上下させている私の腹部一面に、茶色いイソジン消毒液が塗りたくられた。腹水がたまっているおなかは、風船のようにゆらゆら揺れている。

 全身麻酔は睡眠状態とは全く異なる。単に意識を失い、痛みを感じないだけではない。筋 弛緩 ( しかん ) 薬を投与することにより、呼吸が止まり、心臓の拍動も弱まるため、気管に柔らかいチューブを挿入して人工呼吸を行わなければならない。

 これはとても危険な状態だ。のどに異物が詰まれば、意識がなくてもせきをして吐き出したり( 咳嗽 ( がいそう ) 反射)、飲み下したり( 嚥下 ( えんげ ) 反射)できるはずだが、そういう反応もなくなる。まったくもって無防備極まり、自分で自分の体をコントロールできなくなる。

 大量出血に対応しなければならない肝臓移植では、他の手術にも増して麻酔医が重要な役割を務める。常に枕元に立ち、血圧計、心電図、呼吸状態を示すパルスオキシメーターをずっとチェックしてくれる。岡山大病院の麻酔科 蘇生 ( そせい ) 科は肝臓移植、肺移植にそれぞれ専任チームを組み、術前から術中、術後のICU(集中治療室)までの周術期を一貫して管理している。

 命を預かってもらうのである。皆さん、手術前に訪問する麻酔医の説明をちゃんと聞きましょう。同意書も大切です。手術台上で署名を求められても怒ってはいけません。

 「準備できました。肝硬変に対する生体肝移植手術を始めます」。10時41分、前立ち(第1助手)を務める松川啓義医師(手術後、広島市民病院外科部長へ異動)が厳かに執刀を宣言した。

 肝臓の手術で活躍するのは主に電気メスだ。メスといっても、はんだごてみたいな格好でコードがついている。先端チップの電極から高周波電流を発し、瞬時に接触面の細胞の水分を蒸散させる。電子レンジ(マイクロ波を利用)のような仕組みだと思えばいい。

 ブー、ピー。にぎやかな電子音を響かせるが、組織が焼け焦げているわけではない。出力を調整すれば、切開しながら同時に止血することが可能。切断面からとろりとにじんだ血がすぐに固まり、緑色に変わってゆく。

 11時50分。隣接する第3手術室では、ドナーの弟の肝臓に電気メスが切り込もうとしていた。

メモ

 パルスオキシメーター 手足の指につける洗濯挟みのようなプローブから赤色・赤外光を発し、血管を透過する光の吸光度の差から、動脈血中のヘモグロビンが酸素と結合している割合をパーセント表示する。サチュレーション(酸素飽和度)モニターとも呼ばれる。酸素が最大に運ばれている状態が100%で、健康な人は通常、安静時に95%以上を示す。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2009年08月24日 更新)

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