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20 血管吻合 超繊細な針仕事

術野を拡大した動画は手術室内のモニターに中継される。メスや鉗子(かんし)を手にしていない時もスタッフは真剣に進行を見守っている

 八木孝仁医師は 八面 ( はちめん ) 六 ( ろっ ) 臂 ( ぴ ) 。昨年3月18日、岡山大病院の第3手術室で行われたドナーのグラフト(移植片)切除を見届けると、並行して進んでいるレシピエントの第5手術室へ移り、午後4時40分、無残に焼けただれた私の病肝を全摘した。手術は緊迫の「無肝期」へ突入する。

 ありていにいえば、肝臓移植はメスでいったん「殺してもらう」ことを意味する。全身麻酔により自発呼吸が止まり、すでに仮死状態に置かれている。さらに肝臓を丸ごと切り取れば、エネルギー貯蔵庫を失い、体に役立つように薬を反応させたり、毒物を解毒することもできない。

 「おまえはすでに死んでいる」。「北斗の拳」のケンシロウならずとも、そう宣告してくれる。意識があれば、きっと「ひでぶ!?」「あべし!!」と叫んでいたことだろう。

 5時44分、グラフトがおなかの中に収められた。ここからは時間との闘いになる。4度に冷却しておいたグラフトが温まり、組織が傷み始める。できるだけ速やかに血管をつなぎ、血流を再開しなければならない。

 電気コードを接続するのとはわけが違う。血管の外膜をくるりとむいて、内膜同士をくっつけて針と糸で 吻合 ( ふんごう ) するのだが、門脈や肝静脈の太い部分で直径10―20ミリくらい、肝動脈となると細い部分は約2ミリという世界である。その外周を5針、10針と刺して縫い合わせるのだから、気が遠くなりそうだ。

 6時35分、日没を迎え外はもう暗い。急きょマイクロチームが招集された。八木医師は血管吻合も肉眼目視で正確にこなし、時間短縮を目指しているが、予想以上にグラフトの血管が細いらしい。2年半ぶりにマイクロスコープ(手術用顕微鏡)の出番となった。

 血管にも個性がある。手術前のCT(コンピューター断層撮影)検査で、血管走行の状態を3次元画像化して調べてあったが、弟と私では、太さも、枝分かれの具合も相当異なっていた。

 超繊細な刺し子のような仕事は、吻合だけではない。連載第5回でも触れたが、肝硬変による静脈 瘤 ( りゅう ) は辺り一面に及んでいる。血管のこぶを一つ一つ縛って縫い縮め、破裂しないようにしておかなければならない。

  結紮 ( けっさつ ) (糸結び)法もいろいろあり、締める力の加減が難しい。縫い合わせも、単純縫合とマットレス縫合を使い分ける。上達への道はひたすら練習あるのみ。八木医師もかつて、大きさや構造がヒトに近いブタの肝臓を200以上移植し、本番に備えたそうだ。先端医療の手元は極めて地味な、地道な努力に支えられている。

 9時30分、執刀開始から11時間近い。他の手術室の明かりはすべて消え、第5手術室だけが残された。「思った以上に重症だ」「出血がなかなか止まらない」。私はまだ 黄泉 ( よみ ) の国をさすらっていた。

メモ

 北斗の拳 原作・武論尊、作画・原哲夫により、1983年から88年まで少年ジャンプ(集英社)に連載された漫画。一撃必殺の北斗神拳の伝承者ケンシロウが核戦争で荒廃した世界をさすらい、宿命のライバルたちと死闘を繰り広げる。テレビアニメ化されると、経絡秘孔を突かれ、体内から爆裂する敵が残す断末魔の叫び声が流行した。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2009年09月14日 更新)

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