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22 新世界より 目覚めは第2誕生日

手術室からICUへ。最新型の電動ベッドに乗せてもらい、点滴スタンド(イルリガートル棒というらしい)をいくつもお供に引き連れている=昨年3月19日未明

 ほら、右脇腹のドレーン(排液管)から、緑色がかった褐色の胆汁がほとばしっている。弟から分与されたグラフト(移植片)が私の体内で息を吹き返し、さっそく働き始めた。 冥府 ( めいふ ) さまよう「無肝期」を脱し、やっとこちら側に帰ってきた。

 「生きている細胞はほんの少し。ほとんど 壊死 ( えし ) していました」。日付が変わった昨年3月19日午前0時5分、13時間10分にわたった手術を終えた八木孝仁医師( 肝胆膵 ( かんたんすい ) 外科長)は、私の両親と向き合い、穏やかに説明した。手元のトレーには、全摘した私の病肝が載っていた。

 連載第10回の写真を見ていただけば、だれの目にも明らか。母は「足が震えて立っているのがやっとだった」と、今も心底怖そうに振り返る。無理もない。この状態でなお、懸命にあがいていた肝臓を、自分でもいとおしくさえ思う。

 肝炎→肝硬変の病歴が長期にわたる患者の肝臓は、あちこち委縮し、触れただけで崩れてしまうような例が少なくない。私の肝臓はオーブンで丸ごと姿焼きにしたように見える。極めて短期間のうちに、激しい炎症に見舞われたに違いない。

 「これから山あり谷ありです」。八木医師は厳しい口調で付け加えた。そう、“ま 坂 ( さか ) ”もある。普通の手術なら、成功すれば「後は日にち薬でよくなりますよ」などといたわってもらえる。だけど、移植は一筋縄ではいかない。まだ最初の関門を通過したばかりだ。

 …。……。………。手術室を出る段階で気管チューブを抜管。いったん麻酔から覚め、井上光悦記者(社会部)が「よく頑張りましたね」と呼びかけると、半眼でうなずいたらしいのだが、さっぱり記憶にない。まるで今年2月、ローマで“もうろう”記者会見した某元国務大臣のようだ。申し訳ありません。

 はっきり思い出せるのは手術終了翌日の20日。ICU(集中治療室)に移り、担当の看護師さんに日付を教えてもらったのだろう。「きょうが45歳の誕生日なんです」と告げると「まあ、みんなでお祝いしなくちゃ」と喜んでもらった。

 移植手術日を人生二つ目の誕生日と表現する人がしばしばいるが、私の場合、二つの誕生日が一致する。

 新世界より、皆さんようこそ。岡山大病院中央診療棟3階の手術室に隣接したICUは10床。私にあてがわれたのは一番奥の8畳ほどのスペースで、入り口を半透明のアクリルカーテンで仕切ることができる。他のベッドは側面に布カーテンがあるだけなので、ちょっとだけぜいたくだ。

 この日、南向かいの新入院棟が全面オープンし、にぎやかに記念式典が挙行されていたが、ここは別世界。外気を直接取り込まない陽圧に設定され、シューシューと、24時間空気が吹き出している。

 1週間の仮住まいのつもりが、ずいぶん長居を決め込むことになってしまった。

メモ

 新世界より チェコ生まれのアントニン・ドボルザーク(1841―1904年)がアメリカ滞在中の1893年に発表した交響曲第9番。親しみやすい第2楽章のメロディーは、後に歌詞をつけて「家路」などの唱歌として愛されている。岡山県庁周辺にお住まいなら、夕方5時のミュージックサイレンでおなじみだろう。最近では平原綾香が「新世界」としてリメークし、しっとりと歌い上げた。日本SF大賞を受賞した貴志祐介の小説「新世界より」でも、「家路」がモチーフになっている。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2009年09月28日 更新)

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