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23 デンバーシャント 想定外の「最終兵器」

私より半年早く移植手術を受けた河本公男さんとドナーになった純子さん。デンバーシャントの効果で一時はマイカーを運転するほど元気になったのだが…

 岡山大病院での手術が成功し、ICU(集中治療室)に移った私の苦闘はこれから始まるのだが、その前に、術後、隣のベッドで一緒に闘病した河本公男さんの姿を回顧させていただきたい。

 過去形で語ることになるとは、思ってもみなかった。河本さんは59歳だった2007年9月、35年間連れ添った妻純子さん(56)をドナーとする生体肝移植を受けた。

 「調子はいかがですか?」。入道頭でにこやかに話しかけていただいたのは、私がやっと個室から4人部屋へ脱出できた昨年5月半ばだった。

 点滴の留置針に縛られながら、片手で携帯のボタンを押して書いた拙稿(昨年5月4日付デスクノート「神の摂理」)を読んでくださり、「しんどいでしょう」と親身になって同情していただいた。

 河本さんは移植手術以来、すでに4度目の入院だったそうだ。 肝胆膵 ( かんたんすい ) 外科病棟(入院棟6階)では、みんなごろごろと点滴スタンドを引き回しながら廊下を巡っている。腹水や胆汁を吐き出すドレーン(排液管)とバッグをぶら下げている患者も、ここでは珍しくない。河本さんはさらに「デンバーシャント」というハイテク装置まで抱えていた。

 米国デンバーバイオメディカル社が開発した難治性腹水をコントロールする“最終兵器”。 腹腔 ( ふくくう ) 内に埋め込まれたシリコーン製カテーテルがサイホンの原理で腹水を吸い上げ、鎖骨下または 内頸 ( ないけい ) 静脈につないで血管系に戻す。途中に幅1センチほどの超小型ポンプがついていて、おなかの上から1日20回くらい押してやる。

 私もたまった腹水を 穿刺 ( せんし ) し、 濾過 ( ろか ) 、濃縮して点滴する再静注を繰り返してきたが、それを体内で(濃縮はしないが)常時、持続的に行っているわけだ。

 この装置のおかげでずいぶん腹水が減り、楽になった、普通に生活できるようになった、と喜ぶ患者も大勢いる。しかし、危険性もある。カテーテルの改良が進んでいるものの、目詰まりしたり 閉塞 ( へいそく ) すれば交換しなければならない。腹水に細菌感染が生じると、全身にばらまいて敗血症を引き起こしたり、恐ろしいDIC( 播種 ( はしゅ ) 性血管内凝固症候群)を伴うことがある。

 もとより、わき出る腹水を完全に止めたり、原因を取り除く効能は期待できない。私も難治性腹水症と診断された07年10月ごろから、何度かデンバーシャントの話を聞かされたが、そのたびに二の足を踏んでいた。

 河本さんは移植前に腹水症状はなかったから、まさかこんな装置のお世話になろうとは思ってもみなかっただろう。手術で腹壁 瘢痕 ( はんこん ) ヘルニアが生じたため、腹水で膨らんだおなかがさらにせり出してしまった。余儀なく、とてもつらい選択を迫られた。それでも、いつもにこにこと笑顔で迎えてくれていた。

メモ

 DIC 血管内で血液が固まりやすくなり、あちこちの臓器で微小・毛細血管が詰まってしまい、しばしば致命的な状態に陥る。傷口から出血すれば、体は血餅(けっぺい)をつくって止血するが、過剰に血栓ができて血管が詰まらないよう、凝固を抑制(抗凝固)し、血栓を溶かす仕組み(線維素溶解=線溶)が同時に働く。DICではそのバランスが崩れ、敗血症に合併した場合、線溶が抑えられて血栓を溶かしきれない。肝臓が産生するさまざまな物質が密接にかかわっている。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2009年10月05日 更新)

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