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24 長い長い闘い つらいC型肝炎治療

河本さんがC型肝炎と闘いながら丹精していた庭の枝垂れ桜は今年も見事な花を咲かせた

 岡山大病院での生体肝移植後、病室で隣り合わせになった私と河本公男さんは、交互にぎゅるぎゅると腹水の音を響かせていた。

 河本さんは38歳だった1986年に慢性肝炎と診断された。89年、それまで「非A非B型」と呼ばれ、正体不明だった肝炎ウイルスの中からC型が同定された。日本初の生体肝移植が行われた年だ。

 河本さんも初めて、自分がC型感染者だったことを知った。インターフェロン注射を繰り返し受けたが、ウイルスを消すことはできず、徐々に肝硬変へ進行。ついに肝細胞がんを併発するに至った。

 銀行マンとしての働き盛り、人生の3分の1を超える時間を、いつ果てるともしれない肝炎ウイルスとの闘いに奪われた。

 C型はほとんどの場合、血液を介して感染する。過去に血液製剤(フィブリノゲンや第Ⅸ因子製剤)を投与されたカルテなどが残っていれば、薬害肝炎として救済される道が開かれた。しかし、河本さんは「子どものころに受けた予防接種(での注射器の連続使用)が原因だろうが、今となっては証明しようがありません」とあきらめていた。

 日本人のC型感染者は推定約200万人といわれる。多くは河本さんと同様、感染源がはっきりしない人たちだ。行政の過失を問うことは難しいかもしれないが、闘病生活の辛酸をすべて本人に背負わせ、「不運でしたね」と片付けるのはあまりに酷だろう。

 厚労省もようやく対策に乗りだし、2008年度からインターフェロン治療への助成が始まった。だが、基本施策の策定や医療費の支給を求める二つの法案(肝炎対策基本法案と特定肝炎対策緊急措置法案)は、政局のあおりを食って廃案になったままだ。

 インターフェロンが著効すればよいが、河本さんは毎回、強い疲労感や虚脱感に悩まされた。持ち前の明るさも影を潜め、 抑鬱 ( よくうつ ) 状態が続いた。副作用の少ない薬の開発とともに、みんなを平等に支援してくれる施策を、患者たちは待ち暮らしている。

 「1%でも可能性があるのなら」

 河本さんが最後の望みを託した生体肝移植。妻純子さん(56)とはたまたまO型同士。「主人には前世で何かをもらってたんじゃないか。そのお返しをするんです」。純子さんがドナーになると話すと、実家の親族から術後を憂慮する声も上がったが、ためらいはなかった。

 07年9月4日、公男さんの手術は私よりかなり短い約9時間で無事終了。翌日にはICU(集中治療室)のベッドでテレビを見られるほど順調だった。

 ところが、08年が明けると急激に腹水がたまり、毎日のように 穿刺 ( せんし ) しなければならない状態に。デンバーシャントを装着して2月下旬、やっと退院にこぎ着けたものの、職場に復帰できたのは1カ月ほどだった。

 毎年、岡山市北区の自宅庭の枝垂れ桜が咲きそろうと、ちょうちんを取り付け、家族や近所の人たちと一緒に夜桜を愛でた。だが、楽しみにしていた昨年の宴は、シャントカテーテル入れ替えのために再入院し、とうとうかなわなかった。

メモ

 インターフェロン 免疫細胞(リンパ球など)の情報伝達にかかわるサイトカイン(タンパク質)の一種。ウイルスや腫瘍(しゅよう)細胞の増殖を間接的に抑える。遺伝子組み換えで大量生産が可能になったが、C型肝炎を対象にしたペグインターフェロンアルファの薬価は1回分1万4千~4万4千円程度、併用するリバビリンも1カプセル約773円と高価。助成制度により、所得階層に応じて月額1万、3万、5万円の自己負担で治療が受けられる。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2009年10月12日 更新)

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