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31 パルス 拒絶反応を未然回避

3階中央部にICUがある。新入院棟にもICUが開設されたが、移植患者は手術室に隣接した従来のICUで手厚い看護を受けている=岡山大病院中央診療棟

 サワラのしんじょを口にして生還を実感したのもつかの間。最初の試練がやってきた。

 岡山大病院ICU(集中治療室)の一番奥にある11番ベッド。吉田龍一医師と一緒に朝の回診に訪れた八木孝仁医師( 肝胆膵 ( かんたんすい ) 外科長)が難しい顔をしている。血液検査の数値はあまり変動していないが、エコー(超音波診断)画像で門脈の血流量が落ち込む兆しが見られたらしい。

 「拒絶反応かもしれない。数字に出ないうちにパルスをやろう」。グラフト(移植片)に対する急性拒絶反応への第1段階の治療として、副腎皮質ステロイドのパルス療法が選択される。500―1000ミリグラム程度のソル・メドロールを3日間連続で静脈点滴する。

 1000ミリグラム=1グラムだから、大したことないと思われるかもしれないが、これは極めて高用量。元女優が8ミリグラム(0・008グラム)の覚せい剤所持で有罪判決を受けたことを思い出してほしい。微量で強力な効能を発揮する薬剤は多い。

 ステロイドも通常は1錠1ミリグラムまたは5ミリグラムの錠剤(プレドニゾロン、プレドニン)を長期継続して服用するのだが、パルスは短期集中で大量投与する。ステロイドの優れた抗炎症作用を生かし、燃え広がろうとする炎を一気に鎮圧しようというわけである。

 比較的安全とされているのだが、太ももの付け根の骨がつぶれてしまう 大腿 ( だいたい ) 骨頭 壊死 ( えし ) など、列挙すればこの連載欄が埋まってしまうほど、さまざまな怖い副作用があり得る。大切なグラフトを守るため。 躊躇 ( ちゅうちょ ) するという選択肢はない。

 岡山大病院の肝移植チームは、原則として、レシピエント全員に予防的なパルスを行う。それでも拒絶反応が現れれば、2度、3度と繰り返す。

 パルス初日は何ともなかったのだが、2日目になると胸がむかついてきた。吸い飲みで水を口に含んでもえずきそうになる。

 「珍しいメニューが出てるわよ」。看護師さんが夕食のお 膳 ( ぜん ) を運んできてくれたが、どうにも受け付けない。泣く泣くカツカレーを下げてもらった。

  懺悔 ( ざんげ ) しておくと、食欲をなくして食べられないという体験は人生初めてかもしれない。肝硬変を引き起こしたナッシュ(非アルコール性脂肪肝炎=連載第10回参照)の本態は、「食べる病」だろうと思う。何でも好き嫌いなく食べる「よい子」に育ったつもりが、いつしか脂肪肝を招き、肝臓移植に至った。

 というわけで、食への執着心は人一倍強い。移植しても食欲中枢までは生まれ変わらないようだ。「足るを知る」ことを体で覚えないと、ナッシュの道へ逆戻りしてしまう。

 3日間お預けをくい、むかむかに耐えたおかげで、拒絶反応は顕在化せず、切り抜けられたらしい。

 昨年3月26日。手術から1週間経過し、順調ならばICUを出られると言われていた日を迎えた。脱出の希望満々で待ち構えていたのだが、甘くなかった。知らないうちに次のピンチに陥っていた。


メモ

 足るを知る 老子の「道徳経」第33章に「知足者富」とある。漢文は苦手だが、一般的には「足るを知る者は富む」と読み下し、自分の身の程をわきまえ、分相応で満足する人が豊かなのだ、と解釈されているようだ。京都・龍安寺の茶室露地には「口」の字の水受けと四方を囲む刻字を組み合わせて「吾唯足知」(われ、ただ足るを知る)と読める「知足の蹲踞(つくばい)」がある。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2009年12月07日 更新)

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