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34 大遠征 一般病棟の弟見舞う

手術後ICUの渡り廊下から遠望した桜を翌年は間近に目にすることができた。めぐり来る季節は命の再生を実感させてくれる=2009年3月27日

 岡山市でソメイヨシノが満開を迎えた2008年4月4日。術後16日目の私はまだ岡山大病院ICU(集中治療室)にいた。9割の患者は2週間未満で退出するらしい。レシピエント(臓器移植者)は最低1週間の刑期を申し渡されるが、ずいぶん長引いている。

 次の患者のために一日も早くベッドを空けたいのは山々。もちろん、留め置かれるにはそれなりの理由があるに違いないが、本人は外界を見たくて仕方ない。だいたい、ドナーを引き受けてくれた弟と再会できていない。

 看護師さんに懇願し、弟が移った新入院棟6階まで大旅行を敢行することにした。なにせ連載29回の図のような“コード人間”が立ち上がり、歩こうというのである。準備だけで20分くらいかかる。

 10本以上ある点滴やドレーン(排液管)のチューブを片側に束ね、ポンプやバッグを点滴スタンドにくくりつける。酸素ボンベも用意し、看護師さんにお供してもらう。

 この手順で何度か排便にも挑戦してきたが失敗ばかり。ナースコールしてポータブルトイレを持ってきてもらい、ベッドから乗り移るまで 肛門 ( こうもん ) 括約筋が持たないのだ。大変お世話になりました。

 とまれ、コード人間は決死の覚悟でICUの扉をくぐり、新入院棟へ通じる渡り廊下へ、よちよち歩を進める。歩行器につかまり立ちすると、医学部キャンパスに咲く桜が遠望できた。1年後、再び花を見られるだろうか。心を揺さぶられる。

 09年春ももちろん桜は咲いたのだが、あの渡り廊下は旧西病棟とともに解体されていた。近い将来、手術室とICUも全面的に建て替わる。桜より建物の方が諸行無常だ。

 弟の個室にたどり着いた。感動の再会のはずだったが、ベッド上で足を折り曲げ、背を丸めている。ハプニングで硬膜外麻酔の針が抜けてしまい、周期的に襲ってくる痛みに耐えているらしい。その上、手術創に細菌感染が生じ、再縫合してもらったという。

 遠慮せず、ボルタレン座薬やロキソニン錠(どちらも消炎・鎮痛剤)をもらうようアドバイスするくらいしかできない。肝不全状態だったレシピエントは痛みに鈍感になっているケースが多い。私もそうだった。健康なドナーは痛みも強いのだろう。申し訳ない。

 2度目のICU刑期延長で、私はすっかりめいっていた。大量腹水が続くとともに尿量がかなり減っていたらしい。ドクターたちは尿をつくる腎機能の低下も心配していた。

 肝腎症候群という重篤な症状がある。肝移植が成功したにもかかわらず、腎不全に陥り、人工透析、腎移植を必要とする体になってしまうこともあり得る。「肝腎」とも書くように、二つの臓器の連携が肝心なのだ。

 ICUのベッドに戻ると、ブラインド越しに弟の病室の窓明かりが届いた。いつになったら一般病棟に出られるだろう。ひっきりなしに落ちる「追っかけ点滴」の滴が涙の形に見えてきた。


メモ

 肝腎同時移植 2007年5月、当時4歳の女児に対し、国内初の生体肝腎同時移植が国立成育医療センター(東京)で行われた。健康な父親から肝臓の一部と片方の腎臓を切り分け、移植手術は成功したが、40日後、女児は合併症で亡くなった。脳死ドナーによる肝腎同時移植を待機登録した場合、肝臓でレシピエントに選ばれれば、腎臓の待機リストでは下位にあっても優先的に同時移植する基準が定められている。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2010年01月11日 更新)

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