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36 一般病棟へ 点滴刺し替えに難渋

ようやく一般病棟へ脱出。まだまだたくさんのチューブ、コードに縛られ、左手背の点滴留置針も痛々しい=2008年4月7日

 岡山大病院での手術から20日目、2008年4月7日。朝一番のICU(集中治療室)回診で、やっと一般病棟送致が決定した。

 看護師さんたちが大慌てで支度してくれる。大変だったのは点滴留置針の刺し替え。3週間近くたち、さすがに限界。腕がパンパンに腫れ上がっていた。

 毎時200~300ミリリットルの輸液を絶え間なく送り込む生命線。同じ血管への同時点滴(混注)が禁止されている薬剤もあり、どうしても腕の 末梢 ( まっしょう ) 静脈に二つのルートを確保しておかねばならない。

 ドクターも大変だ。何度も腕をもみさすって血管を探ってくれるも、どうしてもサーフロー( 穿刺 ( せんし ) 針)がうまく入らない。

 練達の先生が代わる代わる、2時間近く試みるもギブアップ。私の腕は血まみれになり、とうとう「 手背 ( しゅはい ) (手の甲)で勘弁してぇ」となった。

 先生たちの名誉のために言っておくと、24ゲージ(外径0・7ミリ)のサーフローならたやすく入るのだろうけど、20ゲージ(同1・0~1・1ミリ)くらいでないと大量輸液の圧力に耐えられない。当然、太い針を入れる方が難しい。

 手背や手首辺りの血管は表皮が薄いので穿刺しやすいが、よく動かす部分であり、痛みが出やすいし、不自由を強いられる。それでも両手をふさがれるよりはよいだろうと、2本とも左の手背に入れられてしまった。

 どうしようか悩みつつ、吉田龍一医師は3本あった腹水ドレーン(排液管)のうち2本を抜いてくれた。腹水はピークの日量8100ミリリットルより減ったとはいえ、まだ4800ミリリットルもだだ漏れの状態。右脇腹の残る1本に集中することになる。

 開腹手術創は医療用ステープラー(ホチキス)で閉じてあり、傷が癒えれば金属針をリムーバー( 抜鈎 ( ばっこう ) 器)でブチッと抜去するだけでいい。しかし、ドレーンの傷口は非吸収系の糸で縫ってあるので抜糸が必要だ。

 導尿チューブや胆管ドレーンも残っているが、おかげでかなり身軽になった。ストレッチャーに乗って入院棟6階の個室へ。創傷感染が起きて入院が長引いていたドナーの弟は入れ替わりに退院する。部屋をキープしておいてくれた形だ。

 肝臓の3分の1を提供すると同時に胆のうを切除したので、弟も胆管ドレーンを入れていた。抜去した傷跡からは、私とはけた違いの少量だが、まだ腹水がにじんでくる。退院後もしばらく自分で傷跡を消毒し、ガーゼ交換しなければならない。

 口に出さないが間欠的な痛みが続いているはず。肝細胞はどんどん再生してゆくが、まだ少し動いただけで息が切れるに違いない。

 20年の生体肝移植の歴史では、確かなエビデンス(科学的根拠)が示されているわけではないが、ドナーになることで寿命を縮めることはあっても逆はあり得ないだろう。

 弟が得たものは「兄と命を分け合った」という気持ちだけ。ひたすら手を合わせて退院を見送った。


メモ

 ドナーの痛み 日本肝移植研究会のアンケート報告書(2005年3月)によると、回答した生体肝ドナー1480人のうち、術後3カ月まででは11・0%が「我慢できないほどの傷の痛み」を経験した。ケロイドの訴えは26・7%に上り、ひきつれや感覚の麻痺(まひ)は50・1%と半数を超えた。術後1年を経過すると、我慢できないほどの痛みはほぼなくなる(0・3%)が、ケロイドは17・0%、ひきつれや感覚麻痺の症状は18・2%のドナーに続いていた。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2010年01月25日 更新)

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