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38 過小グラフト 再生しながら重労働

ヘリカルCT(らせんCT)やマルチスライスCTは3次元画像を再構成できる。グラフトへつながる血管を右方向から(右側が腹)透視した画像=2008年5月22日の筆者の腹部

グラフトへつながる血管を左方向から(左側が腹)透視した画像=2008年5月22日の筆者の腹部

 「きりがない。いつまでもこのまま置いておけんだろう」

 手術から50日後の2008年5月8日、朝の回診に訪れた岡山大病院移植チームのチーフ八木孝仁医師( 肝胆膵 ( かんたんすい ) 外科長)は、私のおなかに残された腹水ドレーン(排液管)の抜去を指示した。

 もちろん、一日も早く抜いてほしいと懇願していた。けれど、いざ抜くよ、と言われると不安がこみ上げる。腹水はピークの日量8100ミリリットルから徐々に減ったとはいえ、まだ2000ミリリットル近く出ている。本当は1000ミリリットルを下回るくらいまで待ちたいところだ。

 移植医の間では経験的に、グラフト(移植片)が小さいと、大量腹水を招いたり、 黄疸 ( おうだん ) が長引く傾向があることが知られている。「過小グラフト症候群」と呼ばれ、レシピエント体重の0・8%未満のグラフトの場合にその頻度が高くなるとされている。

 ドナーの弟にもらったグラフトは339グラム。当時70キロ弱だった私の体重比0・5%足らず。八木医師が執刀した中でも、成人では最小クラスだった。

 肝臓くんの身になってみれば、ばっさり真っ二つに身を割かれ、いきなり血液型も異なる(弟はO型で私はA型)新たな宿主の里子に出されたのだ。

 まだ傷もふさがらないうちに、宿主はさっそく肝不全でたまっていた毒素の分解を申しつけ、エネルギーも生産しろと、次から次へ仕事を突きつける。

 ここが生体部分肝移植の一番難しいところだ。自分の身も再生しなければならないのに、新しい宿主が必要としている500以上の化学反応もこなせと命じているのだ。いくら働き者でも、これは相当の重労働だろう。

 大きなグラフトをもらえればよいが、ドナーの安全とは二律背反の関係だ。再生する臓器だからといって、どこで切ってもよいわけではない。右葉、左葉に分かれる構造や血管の走行状態を綿密に調べた上で決定している。移植医が最も頭を悩ますところだと思う。

 八木医師は、肝切除には「 三途 ( さんず ) の川ライン」があると語っていた。「ここから5ミリ大きく切ってしまうと回復できない」という切除線を厳密に計算し、手術に臨むのだという。

 ラインは患者一人一人で異なる。手術前の全身状態がそれほど悪化していなかった私のケースでは、過小グラフトでも十分再生する力があると予測しておられたのだろう。

 実際、手術後2週間で撮影したCT(コンピューター断層撮影)画像では、339グラムだったグラフトは約2・6倍の推定890グラムまで再生していた。予想を超えるペースで成人男性の標準(1000~1400グラム)に近づいていたのだ。

 再生に必要な栄養をたっぷり含んだ血液がどんどん送り込まれていた。もともと私は弟よりかなり体格が大きい。最初は小さかったグラフトの器では、受けきれずにあふれていたのかもしれない。

 入れものがない両手で受ける(尾崎放哉)

 ―などと悠長に一句詠んでいる場合ではなかった。


メモ

 尾崎放哉 1885年鳥取市に生まれる。東京帝大卒後、生命保険会社に就職しエリートコースを歩むが、酒におぼれて失職、家族とも別れ、各地の寺を転々とした。漂泊生活の中で膨大な自由律俳句を詠んだ。1925年、香川県小豆島の南郷庵(みなんごあん)に落ち着くが、結核が悪化し、翌年亡くなった。「入れものがない…」は同庵で句作した。庵は記念館として復元公開され、近くに資料館(収蔵庫)も整備されている。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2010年02月15日 更新)

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