文字 

40 ミクロの決死圏 SF世界の手術現実に

岡山大病院IVR治療室の内部。左の大きなCアームがベッド上に移動し、患者体内の血管をさまざまな角度から撮影、モニター画面に映し出す

 肝静脈が見えなくなってしまうなんてことがあるのだろうか。

 肝臓は門脈と肝動脈の2本の血管から血液を取り込むが、出口は肝静脈だけだ。ふさがってしまうと、毎分1・5リットルも注ぎ込む血液があふれかえる。腹水の漏出が止まらないのも道理だ。

 初めての血管造影がうまくいかず、翌日の2008年5月22日、あらためてCT(コンピューター断層撮影)検査を受けた(連載38回の画像参照)。

 肝静脈は比較的太い血管で直径20ミリ前後ある。ところが、枝分かれする根元のあたりがまるで針先のように 狭窄 ( きょうさく ) している。4月末のCTでは顕著な狭窄は見られなかった。いつの間にこれほど悪化したのだろう?

 「静脈狭窄が腹水の原因だった可能性が高いと分かった。大丈夫。いくつか打つ手はありますよ」

 回診した吉田龍一医師は、努めて楽観的に説明してくれたように思う。「もうダメかも…」という 鬱屈 ( うっくつ ) した気持ちばかりを 反芻 ( はんすう ) し、見舞客にも会いたくなかった。少しでも希望を持たせようとしてくれたのかもしれない。

 CTを見て、放射線科チームもその日のうちに手を尽くして治療法を調べてくれた。夜になり、ドクターたちが難解な説明書を携え、病室を訪れた。翌日午後、緊急手術をしてくれると言う。

 <(1)太もも付け根の 大腿 ( だいたい ) 静脈と首筋の 内頸 ( ないけい ) 静脈を 穿刺 ( せんし ) し、肝静脈の根元へカテーテルを進める(2)おなかの上から肝臓へ針を刺し、肝静脈を見つけてガイドワイヤを挿入(3)(1)のカテーテルでガイドワイヤをつかみ取る(4)狭窄部へバルーン(風船)カテーテルを進め、膨らませて拡張する>

 …よく分からない。が、かなり高難度のアクロバット技であることは理解しました。

 成功例があるらしいが、チームも初めて手がけるとのこと。決して成功を請け合える手術ではない。

 新しい手術法が奏功して難病患者が元気になりました―という新聞記事を時々目にする。ずっと記事を書く側にいたが、手術に臨む患者はわらをもすがる思い。彼我が逆転して初めて、不安に 苛 ( さいな ) まれる気持ちが分かった。

 放射線科ドクターが手術までやるの? と疑問に思う読者もおられるかもしれない。この分野はIVR(インターベンショナル・ラジオロジー)と呼ばれている。

 「放射線診断技術の治療的応用」と訳されたりするが、何のことやら分からない。「血管内手術」と呼ぶのがふさわしいと思う。もっとも、胆管など非血管や結石、 腫瘍 ( しゅよう ) を対象とするIVR治療も盛んに行われており、守備範囲は広い。

 放射線で血管を透視しながら、治療器具が病巣へ進んでいく。「ミクロの決死圏」(1966年)や「インナースペース」(87年)の時代にはSF映画だった世界が、現実の医療になっているのだ。

 5月23日。緊急IVR手術が始まった。


メモ

 「ミクロの決死圏」 脳出血で倒れた亡命科学者を救うため、米政府は医療チームが乗り組む潜航艇を細菌の大きさに縮小し、頸動脈に注射して患部に送り込む―というストーリー。当時の特撮技術を駆使し、アカデミー賞の美術賞・視覚効果賞を受賞した。「インナースペース」は、産業スパイに狙われた縮小実験中の探査艇がたまたまぶつかった若者の尻に注射されてしまい、体内でドタバタの冒険劇を繰り広げる。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2010年03月08日 更新)

ページトップへ

ページトップへ