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42 ムンテラ 100点目指さず退院へ

岡山大病院入院棟6階の消化管・肝胆膵外科ナースステーション。私はICUを出た直後はステーションに一番近い個室にいたが、1カ月足らずで4人部屋に移った

 2008年5月23日に受けたIVR(血管内手術)による肝静脈バルーン(風船)カテーテル拡張術の効果は、たちまち体で感じた。

 手術翌日から3000ミリリットル以上の尿量があった。それまで利尿剤を服用して1500ミリリットル前後だったのが2倍に増えた。血流がよくなり、血管が水分を引き込む力を取り戻したのに違いない。

 腹水で膨らんでいたおなかがみるみるへこんでいく。トイレが頻回になったものの、うれしい悲鳴だ。

 肝機能を示すAST/ALT/総ビリルビンの血液検査値をみても、5月19日は99/234/1・78とかなり厳しい値だったが、術後3日目の同26日には33/81/1・36に改善。さらに6月3日には26/34/0・97とほぼ正常値になった。

 岡山大病院肝移植チームのチーフ八木孝仁医師( 肝胆膵 ( かんたんすい ) 外科長)も吉田龍一医師も、「本当によかった」と何度も喜んでくれた。

 6月11日。IVR治療室で再びバルーンカテーテルによる肝静脈拡張術を受けた。初回で十分効果はあったのだが、さらに3時間かけて念入りに 狭窄 ( きょうさく ) 部を広げてもらった。

 3月18日の移植手術から3カ月経過。やっと退院が見えてきた。まだ右脇腹には胆管チューブが入ったまま。クランプ(締め具で固定)して排出を止めてあるので、退院後は自分でガーゼ交換して周囲を消毒してやればよい。胆道系は合併症が起きやすいため、チューブを抜くのが最後になる場合が多い。

 一番の心配は今後の肝静脈の状態だった。ムンテラ(ムントテラピー=患者との対話による治療)をお願いした。狭窄の原因は血管が「ぞうきんを絞るように」ねじれてしまったこと。339グラムだったグラフト(移植片)が3倍以上に大きく再生する過程で、予想を超えてぐるぐる回転してしまったらしい。

 必死に頑張ったグラフトを責めるわけにはいかない。2度のバルーン拡張で肝静脈は順調に流れ始めたが、ねじれが解消できたわけではない。圧力に耐えられず、再び狭窄してしまう可能性を否定できない。

 吉田医師は「いきなり100点を目指さない方がいい」とアドバイスしてくれた。今まで顕著な拒絶反応はなく、感染症も回避できている。危険な再手術にかけるより、ある程度腹水とつき合いながら、良好な肝機能を保っていくのがベターな選択というわけだ。

 もう一つ。 NASH ( ナッシュ ) (非アルコール性脂肪肝炎=連載第10回参照)は再発の可能性があることを 釘 ( くぎ ) を刺された。NASHの機序についてはまだ分からないことが多いが、2型糖尿病と同様、全身の病気と考えねばならない。肝臓が生まれ変わっても、「無罪放免」と油断はできないのだ。

 とまれ6月29日、退院日を迎えた。「冬来りなば春遠からじ」と耐え忍んだ季節は巡り、窓外は 陽炎 ( かげろう ) が立ち上っている。


メモ

 冬来りなば春遠からじ 英国の詩人パーシー・ビッシュ・シェリー(1792~1822年)の「西風に寄せる歌(Ode to the West Wind)」を締めくくる句(If winter comes,can spring be far behind?)の邦訳。原詩は5節から成る。シェリーはイタリア・フィレンツェ近郊に滞在中の1819年秋、西風が雲を集めて激しい嵐をもたらす様子を観察し、この詩作を構想したという。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2010年03月29日 更新)

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