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48 袋小路 血管内手術繰り返す

治療や検査で撮影した膨大な画像データを再構成するページング作業に取り組む岡山大病院放射線科のスタッフ。IVRを受けるごとに何度もお世話になった

 うだる暑さは過ぎ去り、いつの間にか、吹き渡る風に秋色が混じり始めていた。

 2008年9月2日まで56日間の再入院は、手術時の118日間の入院よりもつらかったような気がする。

 最初の入院はドナーの弟とともに、覚悟を決めて臨んだ。それに対し、再入院は不意打ちを食らったような形だった。見えない敵におびえ、簡易無菌室で孤独に闘った。

 出口の明かりが見えれば、真っ暗なトンネルに飛び込むこともできるが、いつ明けるか分からない長夜は、本当に苦しい。

 再退院できたとはいえ、「仮出所」の身だった。胆管のほころびを繕ったプラスチックのステントは詰まりやすく、2~3カ月ごとに検査し、入れ替えなければならない。

 もっと問題なのは、肝静脈が 狭 ( きょう ) 窄 ( さく ) を繰り返し、腹水がたまり続けること。10月14日から12日間、3度目の入院。ERCP(内視鏡的逆行性胆道 膵管 ( すいかん ) 造影)で胆管のステントを入れ替え、肝静脈をバルーン(風船)カテーテルで広げるIVR(放射線診断技術の治療的応用)の血管内手術も受けた。

 おなかがパンパンにせり出していたので、腹水も 穿刺 ( せんし ) してもらった。悲しいかな、移植前から数えて14度目の穿刺ともなると、痛みにも慣れてくる。身動きできない2時間あまり、大好きな Superfly ( スーパーフライ ) の曲をiPodで聴きながらじっと耐えていた。

 驚いたことに7500ミリリットルも抜けてしまった。こんなに脱水したら、健康な人でも卒倒してしまいそうだが、本人は意外にすっきりさばさばしている。

 肝臓はボロボロになるまで痛めつけてしまったが、生来の私の体はけっこう頑丈にできているらしい。毒性の強い免疫抑制剤や利尿剤を使い続けても、腎機能はなんとか保たれているし、腹水穿刺でショックを起こした経験もない。両親はじめ感謝しきりである。

 それでも腹水は止まらなかった。毎日0・5キロ前後、確実に体重が増えてゆく。これでは重症肝硬変のころと変わるところがない。出口の見えない袋小路に迷い込んでいた。

 もちろん、移植前の肝臓は風前の 灯火 ( ともしび ) で、いつ肝不全死するか分からなかったのに対し、弟にもらった新しい肝臓は意気 軒昂 ( けんこう ) 。血管がちゃんと通じてさえいれば、腹水がたまるはずはない。

 グラフト(移植片)が再生する過程で予想を超えて回転してしまい、「ぞうきんを絞るように」ねじれてしまった肝静脈は、何度風船を膨らませて広げても、すぐにすぼまってしまうのだ。

 12月22日からまた1週間入院。通算5度目のバルーンカテーテル拡張術を受け、腹水穿刺もしてもらい、なんとか2009年を迎えることができた。

 このまま2~3カ月おきの血管内手術を続けていても、腹水は止まらないだろう。細菌感染の危険におびえながら、いつまで持ちこたえられるか―。

 新たな選択を突きつけられていた。

メモ

 Superfly 愛媛県の大学サークルのバンドとしてスタートし、2007年4月にメジャーデビュー。その後、シンガー越智志帆のソロユニットとなるが、バンドスタイルを継続。1960~70年代のロック、ファッションに大きな影響を受けている。ニューヨーク郊外で開催された伝説の野外ロックフェスティバル・ウッドストック40周年を記念した昨年8月のイベントでステージに立ち、かつてジャニス・ジョプリンが在籍したバンドをバックにジャニスの名曲を熱唱した。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2010年05月24日 更新)

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