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骨髄移植支え合おう 岡山の女性呼び掛け 10月に市民講座 患者会代表山邊さん「バンク支援を」

3度の造血細胞移植を乗り越え、患者会の活動に熱意を傾けている山邉さん

 骨髄移植をはじめ3度の造血細胞移植を乗り越え、奇跡的に社会復帰を果たした女性が、同病の患者や家族が集い、支え合う患者会の運営に取り組んでいる。10月に岡山市で市民公開講座を開き、患者への理解や骨髄バンク支援を呼びかける。

 山邊(やまべ)裕子さん(59)=岡山市北区=は2002年5月、急性骨髄性白血病を発病した。いきなり岡山市民病院の無菌室へ“隔離”。移植の知識も覚悟もないまま、造血細胞移植を余儀なくされた。

 初回はドナーが見つからず、自分の造血幹細胞を採取、保存し、がん細胞をたたいた後で体に戻す自家移植。しかし06年に再発し、今度は岡山大病院に入院。骨髄バンクを通じて非血縁者ドナーから骨髄移植を受けた。

 順調に退院できたが、07年にまたしても再発。分娩(ぶんべん)時に提供、保存された新生児の臍帯血(さいたいけつ)を移植する臍帯血移植を選択し、3度目の移植に望みをかけた。

 造血細胞移植は白血病や骨髄異形成症候群(MDS)などの血液の難病に対し、根治が期待できる治療法。しかし、いずれの移植法でも、患者は術前に抗がん剤や放射線治療を必要とする。さらに自家移植以外の場合、術後、移植されたドナー由来の免疫細胞が患者の臓器・組織を攻撃する移植片対宿主病(GVHD)を克服しなければならない。

 山邊さんも好中球(貪食(どんしょく)殺菌する白血球)の血液検査値がゼロになり、胃腸の出血が止まらず、体重30キロを切った時期もあった。無菌室を出られず、目がかすんで携帯電話の文字も見えない。何度もくじけそうになった。

 つらい闘病を支えるピア(仲間)カウンセリングの必要性を痛感。ようやく体調が安定した昨年秋、岡山大病院の移植仲間7人で「岡山造血細胞移植患者会『きぼう』」を立ち上げ、代表を務めることになった。

 5人の子どもたちが独立した今、「自分の社会復帰は患者会を軌道に乗せること」と心に決め、生きがいを感じているという。

 岡山労災病院小児科部長の寺〓智行医師も、山邊さんとともに会を立ち上げたコアメンバー。07年に突然、MDSに伴う急性骨髄性白血病を発病し、骨髄バンクを通じて骨髄移植を受けた。

 GVHDによる角膜や口の粘膜の痛みに苦しみ、外出にはゴーグルが欠かせない状態ながらも、元気に職場復帰。毎日、大勢の子どもたちを診察している。「移植を受けて初めて、医師も分かっていない患者の苦しみを知った。支え合いのネットワークを広げていきたい」と話す。

 10月16日午前11時から岡山国際交流センター(岡山市北区奉還町)で開く公開講座では、岡山大医学部5年生の木本豪さんが講演。白血病で幼い弟を亡くした体験を持ち、07年に骨髄提供手術に臨んだ思いを語る。

 入場無料。問い合わせは山邊さん(086―239―3825)。

※〓は崎の大が立
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2010年09月24日 更新)

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