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(4)歯を削ると学習能力が落ちるネズミ 朝日高等歯科衛生専門学校校長(旧ベル歯科衛生専門学校) 渡邊達夫

 認知症の人に総入れ歯の人が多いと言われだしたのは、今から15年ほど前のことである。特にアルツハイマー型認知症において歯の数との関連がよく言われている。

 朝日大学の口腔(こうくう)生理学教室では、30年ぐらい前から脳の発達と歯の関連を研究していた。若いネズミの歯を抜いて、学習能力にどれほどの差が出るかを実験した。ネズミを迷路に入れ、餌にたどり着くまでの時間で学習能力を測定した。歯を抜かれたネズミは、何回やっても時間の短縮が無かったのに対し、対照のネズミは回を重ねるごとに餌に早くたどり着くことができた。歯を抜かれたネズミは学習能力が落ちる、との結論が出た。歯を抜かれたネズミは、餌が食べられないので餌に対する執着心が無くなり、学習しなかったのではないかとも考えられる。

 次の実験では、片方の歯を抜いたネズミを育てて、脳の発育を比較した。歯を抜いた側とは反対側の脳が小さくなっていて、また、脳の細胞密度が低いことも分かった。噛(か)むことと脳の活性化の問題では、脳の血流量が上がるとか、噛む筋肉の発達が影響するとかいう説があったが、抜いた歯とは反対側の脳の発達が悪かったということは、噛む筋肉や脳の血流量でこの萎縮を説明するわけにはいかない。実は、歯の根にある神経は目の後ろ側で左右が交差してから脳につながっている。だから、反対側の脳の発育が十分でなかったのだ。噛む刺激をこの神経が感知して、脳に伝え、脳の発達を促していると考えられる。使っていない臓器は、どんどん小さくなっていくことが知られている。これを廃用萎縮というが、脳の細胞にも同じことが起こっている。

 イギリスで行われたネコの実験では、歯を抜いてしまうと歯の根にある神経の末端は骨の中に退化してしまい、噛んだ刺激が脳に伝わらないことが示された。ネコやネズミの現象が、ヒトに当てはまるかは分からないが、アルツハイマー型認知症と歯の数が関連していることを考え合わせると、推論はできる。誰の作か忘れたが、「歯が抜けるたびに 気力が 抜けていく」というのがあった。

 神奈川歯科大学のグループは、歯を削ることの学習能力への影響を調べている。実験用の水槽でネズミを泳がせて、その中にネズミの足が届く休憩台を作り、そこに到達するまでの時間を測って学習能力の指標にした。水槽には発泡スチロールの粒子を浮かべて、ネズミには休憩台の位置が分からないような配慮をしていた。

 まず、高齢で健康なネズミを1日4回で泳がせると、初日は休憩台に到達するのに、平均60秒かかっていた。その後、日に日に学習をして、実験開始7日目になると10秒にまで短縮されたが、それ以降の変化はなかった=グラフ参照。歯を削られて餌を十分噛むことができなくなったネズミも、少しずつ学習をして休憩台への到達時間は短くなっていくが、7日目では30秒までで、それ以降は変化しなかった。もう一つのグループは歯を削って7日目までプールで泳がせた後、削った歯の治療(修復)をして学習効果を調べた。治療をするとそれなりに学習するが、健康なネズミの水準にまではいかなかった。この学習能力の差は、ネズミの脳の海馬の細胞数と比例していた。海馬は脳の記憶や空間の学習能力に関わっている臓器である。

 歯を抜くだけでなく、削るだけでもネズミにおいては学習能力が下がってしまっている。削った歯を治療しても、健康なネズミの学習能力には追い付かない。加齢とともに学習能力が落ちていくのは仕方がないとしても、それを加速させるような治療は避けたいものである。最近の歯科医療は、ミニマム・インターベンションと言って、削る部分を最小限にしようという考えが主流になっている。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2012年04月02日 更新)

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