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忘れてはならない話 光生病院 理事長兼院長 佐能量雄

 東日本大震災に、台湾から200億円という巨額の義援金が贈られた。多くの台湾の方々の親日の心によるものだ。

 明治維新後の小さな日本が日清戦争で勝利し、台湾統治では世界に認めてほしかったのだろう。ダム、病院、橋建設や教育などに、当時の本土でも難しかった最高の技術を惜しみなく投入し、現在の台湾経済発展の骨格を築いている。

 終戦の時も、日本人はわずかな食料を台湾の人に平等、公正に分け与え、むしろ闇市に手を出さなかった日本人の方がひもじい思いを耐え忍んだ。台湾の人たちは、今でもそんな日本人のことを語り継いでくれている。

 もう一つは、トルコの軍艦「エルトゥールル号」の話だ。1890年、台風の直撃を受け、現在の和歌山県串本町沖で遭難。生存者69人、その陰に地元住民の不眠不休の救援活動があった。この時も、台風で食料がほとんど底をついていたにもかかわらず、自分たちの食料を供出して献身的に生存者を救護した。

 明治政府も遺族への義援金を募り、生存者を2隻の軍艦でイスタンブールへ送るなど手厚い対応を見せた。さらに、民間人の山田寅次郎は、前途ある若者ら587人の犠牲者を悼み、全国で大規模な募金活動を行い、2年後、自らイスタンブールへ届けたという。

 この話は、今もトルコの小学校の教科書に載り、語り継がれている。そしてイラン・イラク戦争の1985年、トルコ航空機が自国民より優先し、日本人200人以上をテヘランから救出した話へとつながる。

 トルコや台湾の友情は心からの真実だ。勤勉で礼儀正しく正義を重んじる日本は、まさにアジアの模範であり、庶民にも根付いた武士道精神は各国の国民を勇気付けてきた。これからも、日本は世界に誇る「心の国」を目指すべきであろう。しかし、戦前の日本人にできた功績を今の日本にできるか? 大いに考えさせられるところでもある。

(2012年2月16日付山陽新聞夕刊「一日一題」)
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2012年02月16日 更新)

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