文字 
  • ホーム
  • コラム
  • サンノゼからの交換学生 岡山済生会総合病院名誉院長 糸島達也

サンノゼからの交換学生 岡山済生会総合病院名誉院長 糸島達也

 1974年、山陽新聞の「ホームステイを受け入れませんか」との小さな記事に興味を持った家内が、受け入れに必要な条件を聞くため岡山市役所に電話しました。その日午後には市役所から男性2人が来訪。「2週間後には米国サンノゼ市から学生が到着するので、ぜひお願いします」と深々と頭を下げられ、あれよあれよと話が進んでいきました。

 当時私は35歳、家内、義父に、子供3人はまだ5、3、1歳。家族6人の誰も英会話のできない家庭に、岡山市の姉妹都市サンノゼから交換学生シャロンさんがやって来ました。

 サンノゼ州立大学1年生のシャロンさんは小柄で、ストレートの長い黒髪。幸い日系3世なのでゆっくり話せば日本語が通じましたが、私たちの岡山弁にキョトンとしたり、浴室のシャワーから水しか出なくて驚いたり…。そんな中で子供たちともすっかり打ち解け、楽しい1カ月でした。

 彼女は交換学生として毎日会合に出席、お稽古事として琴、生け花、備前焼などを習っていました。家内のつくる日本食を箸で上手に食べた後は洗い物を担当。後になって「お客さま扱いでなかったのが良かった」と言ってくれました。

 彼女の帰国後、私が学会で米国ロサンゼルスに行った時、家内も同行しました。その際、シャロンさんがロスからサンフランシスコまで数日かけて案内してくれ、一緒にドライブインに泊まりながら、西海岸を旅したのが忘れられない思い出です。彼女の社交的な性格もあったのでしょうが、その後も結婚したからとご主人と一緒に来岡するなど、37年間に10回以上も行ったり来たりの友好関係が続いています。

 山陽新聞の小さな記事から遠い米国に友達ができ、今では家族ぐるみの交流につながっていることをとてもうれしく、また不思議に思います。


(2011年4月14日付山陽新聞夕刊「一日一題」)
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2011年04月14日 更新)

カテゴリー

ページトップへ

ページトップへ