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私が実行した事 川崎医科大付属川崎病院長 角田 司

 1993年7月1日付で川崎医科大学外科学(消化器)教授に就任し、2003年4月に付属病院長を兼務したが、教授ならびに病院長になった頃を振り返って、自分で考え、実行した事を記してみる。

 川大の手術日は火・木曜の週2日で、1日6〜7件あり、執刀者はほとんどが私すなわち教授となっていた。これは仕方がないとしても、いずれも私が執刀しないと手術が始まらない事は問題だと思った。そこで、私はこの2日間は朝から晩まで手術室にいたが、私の執刀は1日2例とし、他は助教授、講師または主治医に割り当てた。

 なお術者の立つ位置は、主たる肝胆膵(すい)の手術の場合、母校・長崎大学では患者の左側(京都大学式)であった。しかし川大での術者の位置は右側であったので、川大での第一助手の位置である左側が私としては本来の術者の位置であり、好都合であった。

 教室員からは術者になれるので喜ばれたし、私も自分の位置から教室員を十分にコントロール可能であった。そして最も重要視したのは、縫合不全を絶対起こさない事で、当初の3年間は縫合不全を全く経験しなかった。

 さらに、私は一人で毎朝7時ごろから約1時間30分をかけて、消化器外科の入院患者60人ほどを訪室した。特に術後の患者では、熱型表を見、ガーゼを取り、ドレーン(排液管)をはじめ創部の観察、聴診、触診を行って、異常の有無をチェックした。

 少しでも異常と診断したら看護師を呼び、主治医に連絡し、採血とレントゲン検査、超音波検査、CT(コンピューター断層撮影)等をオーダーした。杞憂(きゆう)に終わる事もあるが、患者には早め早めの処置ができ、大事に至る事は少なかった。この毎朝の訪室は、病院長になっても継続していた。

(2013年7月18日付山陽新聞夕刊「一日一題」)
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2013年07月18日 更新)

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