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私たちの備え 減災社会を目指して 岡山赤十字病院救命救急センター副センター長 奥格さん(50)=岡山市南区

奥格さん

岡山空港で行われた訓練。おかやまDMATも参加し、被災者への医療対応について研さんを重ねた=2011年2月

 2011年3月11日午後7時半すぎ、東日本大震災の被災地で医療活動に当たるDMAT(災害派遣医療チーム)の出動要請を受けた。発生から約5時間。第1陣7人の救護班長として福島県へ向かった。

 翌12日、道中に福島第1原発の事故の情報が入った。原発から約50キロ離れた郡山市の避難所・県立郡山高に着いたが、予想を超えた事態が連続した。

 避難者は0人。別の避難所へ向かったが、被ばくの恐れがあるとして撤収指示が出た。13日は同県川俣町の避難所へ。多くの負傷者を覚悟したが、糖尿病など慢性疾患の薬の処方や急な発熱への対応が中心だった。

 情報が入り乱れた。どこに避難者がおり、どんな治療が必要なのか全く分からず、もどかしさを感じた。助けを求めている人はいたはず。郡山高は訪れた2日後に避難者であふれたと聞いた。

 1995年の阪神大震災はがれきの下敷きになるなど負傷者が多かったため、国のDMAT研修は外科系処置が中心だった。だが、東日本大震災は長期の避難生活による肺炎や慢性疾患への対応など内科系の処置が求められた。

 外科だけでなく、内科の知識も身に付けるなど、全体の底上げが欠かせないと感じた。南海トラフ巨大地震も予想されている。どんな現場でも対応できるように研さんを続けたい。想定外は起こり得る。県民一人一人が防災、減災に向けた準備を進め、自身の命を守る行動を取ってもらいたい。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2013年10月07日 更新)

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