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昭和40年代 倉敷中央病院長 小笠原敬三

 昭和30年代は、まだ街や農村の風景にも戦前の名残が強く映し出されていました。映画「名もなく貧しく美しく」や漫画家・西岸良平が描くところの「三丁目の夕日」の時代で、物質的には貧しくても互いに助け合い、濃密なコミュニティー意識のあった時代でした。

 昭和40年代は、高層ビルが建設され始め、都会の風景が変貌し始めていました。しかし、30(1955)年から48年までの高度経済成長期の途中、東京オリンピックが終了した昭和39年後半から翌40年は、いわゆる「証券不況」によって著名な企業が多数倒産し、日本全体に不安が重くのしかかってきました。

 経済成長という明るい将来と「そこはかとない不安」という日本の二つの精神潮流は、当時の若者に大きな影響を与え、国際社会と連動して震撼しんかんしていった時代であったことを思い出します。

 昭和40年代前半においては、特に戦後生まれのベビーブーマーたちが世界の至る所において既存の権威を否定し、新しい価値の座標軸を求めて漂い続けました。中国紅衛兵「造反有理」運動、アメリカのベトナム反戦運動、フランス・日本における大学改革運動は連日報道されました。

 昭和時代のうち、戦後復興期、高度成長期を過ごしたいわゆる「団塊の世代」のひとりとして、昭和30年代後半から40年代にかけての個人的な読書から、印象に残った本を次回からご紹介したいと思います。

(2014年2月6日付山陽新聞夕刊「一日一題」)

 ◇筆者紹介(おがさはら・けいぞう)京都大医学部卒。同学部付属病院を経て1981年倉敷中央病院に入り、外科主任部長、副院長など歴任。2009年4月から現職。専門は消化器外科。高松市出身。65歳。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2014年02月06日 更新)

タグ: 倉敷中央病院

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