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(4)心カテーテル(冠動脈慢性完全閉塞へいそく)治療 倉敷中央病院 光藤和明副院長 難治性の治療、指導に世界を走り回る

完全閉塞した部位を凝視、鋭いのだが、人柄か、目はやさしく見えた。慈眼仏心

みつどう・かずあき 広島大付属高、京大医学部卒、1974年倉敷中央病院内科研修医、78年小倉記念病院でカテーテル研修、85年循環器内科主任部長、2005年心臓病センター長、06年副院長、08年臨床研究センター長。京大医学部臨床教授、岡山大医学部臨床教授、元日本心血管インターベンション学会理事長。65歳。

 2月、心筋梗塞など冠動脈疾患の心カテーテル治療に取り組んでいる医師らが倉敷市民会館で開かれた倉敷ライブに集まった。お目当ての主役は光藤医師。大型スクリーンに、倉敷中央病院で行われている70代男性の心カテーテル手術が映し出される。

 光藤医師は左人さし指と親指で直径0・35ミリのガイドワイヤーを送り込むが、前進できない。手を止め、じっと見つめるその先にあるのは冠動脈造影のモニター画面。回旋枝の一部が黒く途切れ、見えなくなっている。そこが完全閉塞した病変部位。これが心筋梗塞の原因。長年の動脈硬化で血管内は石灰化、石のように固い。左右同時造影で確認すると長さ5センチ。高度の屈曲があり、直角に曲がり、さらにその先も曲がっている。慢性完全閉塞の中でも超難度の症例。手術前、画像診断の情報をまとめ、頭の中では3Dの立体画像が描かれ、どう攻めるか、戦略は出来ている。

 通常、ガイドワイヤーは直進する。直角へはなかなか入れない。曲がる時、血管の外壁に沿って入る。先端をJ字形にし曲がりやすくして、何度もトライする。手を休め、目はいびつに曲がった病変部を凝視する。さきほどから、それを繰り返している。難攻不落。

 J字形の先端がうまく引っかかり、角を曲がって進んだのは開始から1時間半が過ぎたころだった。直径3ミリの血管の中、石灰化した塊の中心部を通過させないと血管が破れる。

 「偽腔(ぎくう)を通さず、真腔(しんくう)を通す」

 いつも若い医師に指導する言葉だ。安全圏にある真腔を目指す。気負いがない。肩にも、ひじにも、指先にもムダな力が入らない。沈着冷静。

 「集中するための緊張はする。手を震えさせてはできない。ゆっくり丁寧に」

 「あっ、通りました」

 さりげない、小さな声。塊を通り抜けたことを告げた。「さすが」「すごい」という声がライブ会場に聞こえた。

 ガイドワイヤーに沿って刃先が工業用ダイヤモンドのローターを送り込み、1分で20万回の高速回転で石のように固まった閉塞部を掘削。風船で広げ、ステント(網目状の金属)を留置、血流は再開した。もろく破れやすい高齢者の血管内、わずか1〜2ミリの空間での作業は危険と背中合わせ。一つ一つの作業を正確にこなすことが高度な医療技術である。

 先端をJ字にした経験知と真腔を通す高度の手技、そして根気と集中力、30年間で慢性完全閉塞6000例を含め4万1000例の治療実績を持つ光藤医師だからできたことだ。

 「私はアメリカのライブで教えられた。視覚で効果的に伝えることができ、教育効果は大きい。手の感触もあるが、それを口で伝えるのは難しい。視覚的に、論理的に治療を進め、若い人に理屈でわかるようにしていく。科学ですから」

 倉敷ライブはもう20年を超えた。

 1979年、スイスで始まった心カテーテル治療は心臓を止めて行うバイパス手術より患者負担が少なく、アメリカで広まった。81年、日本に入り、小倉記念病院の延吉正清、湘南鎌倉病院の斎藤滋、光藤医師らが文献で知り独学。3人は85年、カンザスシティーのハツラー医師のカテラボ研修に参加、世界の先駆者の手技に圧倒される。手術室での研修を終え、笑顔の恩師と興奮さめやまぬ3人を納めた1枚の写真がある。明治維新の志士のように目が輝き、日本のパイオニアの30年前の姿がそこにあった。

 「複雑な病変を一見マジックの如(ごと)くガイドワイヤーで通過させ、バルーンで拡張していく圧倒的な技術とその論理に触れることができた」と回想する。

 それから、トップランナーとして走り続けた。バルーンをふくらませるだけの時代から、ふくらみを固定化するステントを留置する時代、そこが再び詰まって狭くなる再狭窄(さいきょうさく)を防ぐため薬剤溶出型ステントになり、今の課題は慢性完全閉塞の治療。それぞれのハードルを越え、日本の心カテーテル治療はアメリカをしのぐレベルに達しており、その推進力になった一人である。

 心カテーテル治療の勉強を始めた3年後の81年、地域でも動きだした。西部循環器プライマリーケアの集いを立ち上げた。心筋梗塞、不整脈などの患者を病院へ送り込む地域の開業医と勉強会を開き病診連携で治癒率向上を目指した。82年にはドクターズカー・モービルCCU(心臓血管集中治療)を導入した。急性心筋梗塞、重篤な不整脈などに対し心電図モニター、除細動器などの機器を救急車に搭載、循環器内科医が治療しながら搬送する。原則、医師からの要請で出動する。この二つを主なツールとする地域チーム医療は心カテーテル治療が本格化する90年代、大きな力を発揮する。

 93年、心カテーテル治療・経皮的冠動脈形成術(PTCA)は1008例になった。症例数は増え、笠岡、高梁、新見などからの搬送件数は96年400を超え、2001年500を突破、連絡を受けると心カテーテル手術の準備をして到着後すみやかに治療が行われた。急性期基幹病院としての役割を果たす大きな力になった。

 「地域でのチーム医療こそが高度な全人医療を実現するための基本と考えた」と話す。

 01年、台湾の李登輝元総統が入院、光藤医師の心カテーテル治療を受けた。再狭窄部位が認められ風船による血管拡張が行われ、別の部位にはステント留置が施された。それ以前に台湾を訪れ同氏のカテーテル手術に立ち会っており78歳の高齢を考慮、光藤医師の腕を頼って倉敷に来た。大物の来日は外交問題になった。

 しかし、医師と患者は京大の同窓。後に医師向けの雑誌に手術後元気良く右手を挙げる李氏と笑顔の光藤医師の写真が公表され、二人の信頼関係をうかがわせた。世界に通じる医療を倉敷で実践して見せる結果となった。

 60歳を超え、最も力を入れているのは慢性完全閉塞の治療と指導。金曜日は必ず他の病院へ出て難治性の治療と指導を行う。月に1、2回はアメリカ、イギリス、ドイツ、中国、韓国、タイなどから呼ばれ、海外へ。国の内外で治療の難しい患者を救い、同時に医師らに手術を見せて、指導研修を行う。

 「培ってきた医療技術の良い面を次の世代に伝えたい」

 トップランナーの使命感がそうさせる。

◇倉敷中央病院(倉敷市美和1の1の1、電話086―422―0210)
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2014年04月21日 更新)

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