(2)がん内視鏡治療 岡山大学病院光学医療診療部 河原祥朗講師
右手にスコープを持ち、左手の親指と人さし指でレバーを操る。黒縁眼鏡の奥の瞳はモニターに映し出された画像を凝視する。
世界のトップレベルを有するわが国の内視鏡技術は、早期がんにも適応。患者にとって、従来の外科手術と比べ、体への負担が小さく、臓器や器官の機能も大きく損なわれないことがメリットだ。熟練の内科医たちが積極的に取り組む中、「内視鏡的粘膜下層剥離(はくり)術(ESD)」と呼ばれる難易度の高い治療で、河原は中四国屈指の技量を誇る。
治療時間は胃なら30〜40分、食道、大腸は1時間程度。外科手術なら3〜4週間を要する入院期間も10日程度で済む。
消化管の壁内は、内側から順に粘膜、粘膜下層、筋層で覆われ、胃の場合、厚さが約7〜8ミリあるため、比較的、治療が容易だが、大腸や食道の壁は4ミリ程度しかない。しかも、電気メスを入れるのは、粘膜から筋層までのわずか1ミリ以内とあって、非常に難度が高いのだ。
メスを深く入れすぎると、壁を傷つけ穴が開き、雑菌が拡散。最悪の場合は腹膜炎などで命を落とすことがある。逆に、リスクを恐れ、メスの入れ具合が不十分だと、病変を取り残し再発につながる。
「繊細かつ大胆」。河原の手技が高く評価されるゆえんはそこにある。
河原の元には、中四国一円から年間約150人の患者が訪れる。経験症例が100例程度が熟練の目安とされる中、河原は、津山中央病院時代の2003年に胃がんの治療を始めて以降、大腸、食道を合わせ既に2500例以上の症例に携わっている。5年生存率はほぼ100%。再発が限りなくゼロに近いというわけだ。
06年からは、内視鏡が通過する部位でありながら、胃や食道がんに重きが置かれ、見落とされがちだった咽頭がんの治療も開始した。
「確実な診断こそが治療を支える」と河原。より正確な診断法など、内視鏡診療に関するさまざまな工夫を編み出すアイデアマンでもある。
胃については、酢が安全な弱酸性溶液である特徴を利用して鮮明に患部を染める色素を09年に開発。国内外の病院に普及し、胃がんの診断率向上に寄与している。
壁を傷つけないよう、一定の方向しか電流が流れない電気メスや、胃カメラの際に吐き気が起きないよう、スコープが舌の奥に当たらないように工夫したマウスピースも開発した。
苦痛のない検査を行うことで検診率を向上させ、がんの早期発見につなげたいという思いが根底にある。
医師を志したのは、中学2年の時に父を胃がんで亡くした影響が大きい。末期の進行がんで、十分な治療を受けることができなかったという。「この世からがんを無くしたい」。30年以上も前からの信念だ。
内科医だが、99年から05年まで勤務した津山中央病院で、救急搬送された吐血患者の内視鏡による止血治療に携わった経験から、「内視鏡を用いることで、外科医のように自分の手で患者さんを助けることができるようになった。患者さんや家族から感謝の気持ちを直接伝えられ、胸がいっぱいになることが何度もあった」と救命の感動を覚えた。
国内でいち早くESDを手掛けるようになった原点だ。
「どこからどういう角度でメスを入れれば最善の治療ができるかという戦略を立てて、治療に臨んでいる」と強調。
岡山大で手技を教えた後輩たちが、福山市民病院などに赴任し、ESDを実践している。「どの病院でも同じレベルのESD治療を受けられるよう、医師の育成に努めたい。大学病院に身を置く自分の責任です」
ESDはここ数年、日本発の画期的な治療法として世界に広がりつつある。
特に、欧州やアジアの医師が習得に熱心で、忙しい診療の合間を縫って海外に指導に出向くことも多い。「世界中の標準的治療にしたい」。河原の志は高くなる一方だ。(敬称略)
ESD 正確な術前診断重要
内視鏡によるがん治療は1980年代以降、内視鏡の先端に挿入した円形のワイヤでがんを縛って焼き切る内視鏡的粘膜切除術(EMR)が、胃がんを中心に行われてきた。ただ、病変の直径が最大でも2センチ未満に限られ、大きな病変には対応できないのがネックだ。
ESDはこの欠点を補うため、99年ごろに開発された。絶縁付きのナイフを使うため、10センチ程度の大きながんも、浅いところにとどまっていれば治療でき、適応範囲が広がった。
治療法は、切除範囲に電気メスで印を付け、粘膜下層にあらかじめ生理食塩水などの液体を注入して病変を浮かせ、病変と病変に接する粘膜下層をはぎ取る。
ESDは胃がんをメーンに、大腸がんや食道がんなどの治療に取り入れられているが、完全にがんを切除できるかどうか、正確な術前診断が重要となる。
◇ 岡山大学病院光学医療診療部(岡山市北区鹿田町2の5の1、086―235―7219)
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。
世界のトップレベルを有するわが国の内視鏡技術は、早期がんにも適応。患者にとって、従来の外科手術と比べ、体への負担が小さく、臓器や器官の機能も大きく損なわれないことがメリットだ。熟練の内科医たちが積極的に取り組む中、「内視鏡的粘膜下層剥離(はくり)術(ESD)」と呼ばれる難易度の高い治療で、河原は中四国屈指の技量を誇る。
治療時間は胃なら30〜40分、食道、大腸は1時間程度。外科手術なら3〜4週間を要する入院期間も10日程度で済む。
消化管の壁内は、内側から順に粘膜、粘膜下層、筋層で覆われ、胃の場合、厚さが約7〜8ミリあるため、比較的、治療が容易だが、大腸や食道の壁は4ミリ程度しかない。しかも、電気メスを入れるのは、粘膜から筋層までのわずか1ミリ以内とあって、非常に難度が高いのだ。
メスを深く入れすぎると、壁を傷つけ穴が開き、雑菌が拡散。最悪の場合は腹膜炎などで命を落とすことがある。逆に、リスクを恐れ、メスの入れ具合が不十分だと、病変を取り残し再発につながる。
「繊細かつ大胆」。河原の手技が高く評価されるゆえんはそこにある。
河原の元には、中四国一円から年間約150人の患者が訪れる。経験症例が100例程度が熟練の目安とされる中、河原は、津山中央病院時代の2003年に胃がんの治療を始めて以降、大腸、食道を合わせ既に2500例以上の症例に携わっている。5年生存率はほぼ100%。再発が限りなくゼロに近いというわけだ。
06年からは、内視鏡が通過する部位でありながら、胃や食道がんに重きが置かれ、見落とされがちだった咽頭がんの治療も開始した。
「確実な診断こそが治療を支える」と河原。より正確な診断法など、内視鏡診療に関するさまざまな工夫を編み出すアイデアマンでもある。
胃については、酢が安全な弱酸性溶液である特徴を利用して鮮明に患部を染める色素を09年に開発。国内外の病院に普及し、胃がんの診断率向上に寄与している。
壁を傷つけないよう、一定の方向しか電流が流れない電気メスや、胃カメラの際に吐き気が起きないよう、スコープが舌の奥に当たらないように工夫したマウスピースも開発した。
苦痛のない検査を行うことで検診率を向上させ、がんの早期発見につなげたいという思いが根底にある。
医師を志したのは、中学2年の時に父を胃がんで亡くした影響が大きい。末期の進行がんで、十分な治療を受けることができなかったという。「この世からがんを無くしたい」。30年以上も前からの信念だ。
内科医だが、99年から05年まで勤務した津山中央病院で、救急搬送された吐血患者の内視鏡による止血治療に携わった経験から、「内視鏡を用いることで、外科医のように自分の手で患者さんを助けることができるようになった。患者さんや家族から感謝の気持ちを直接伝えられ、胸がいっぱいになることが何度もあった」と救命の感動を覚えた。
国内でいち早くESDを手掛けるようになった原点だ。
「どこからどういう角度でメスを入れれば最善の治療ができるかという戦略を立てて、治療に臨んでいる」と強調。
岡山大で手技を教えた後輩たちが、福山市民病院などに赴任し、ESDを実践している。「どの病院でも同じレベルのESD治療を受けられるよう、医師の育成に努めたい。大学病院に身を置く自分の責任です」
ESDはここ数年、日本発の画期的な治療法として世界に広がりつつある。
特に、欧州やアジアの医師が習得に熱心で、忙しい診療の合間を縫って海外に指導に出向くことも多い。「世界中の標準的治療にしたい」。河原の志は高くなる一方だ。(敬称略)
ESD 正確な術前診断重要
内視鏡によるがん治療は1980年代以降、内視鏡の先端に挿入した円形のワイヤでがんを縛って焼き切る内視鏡的粘膜切除術(EMR)が、胃がんを中心に行われてきた。ただ、病変の直径が最大でも2センチ未満に限られ、大きな病変には対応できないのがネックだ。
ESDはこの欠点を補うため、99年ごろに開発された。絶縁付きのナイフを使うため、10センチ程度の大きながんも、浅いところにとどまっていれば治療でき、適応範囲が広がった。
治療法は、切除範囲に電気メスで印を付け、粘膜下層にあらかじめ生理食塩水などの液体を注入して病変を浮かせ、病変と病変に接する粘膜下層をはぎ取る。
ESDは胃がんをメーンに、大腸がんや食道がんなどの治療に取り入れられているが、完全にがんを切除できるかどうか、正確な術前診断が重要となる。
◇ 岡山大学病院光学医療診療部(岡山市北区鹿田町2の5の1、086―235―7219)
(2014年06月02日 更新)