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ネパール大地震被災者の現状は JICA派遣の看護師に聞く

ネパールでの医療活動を振り返る鼠尾さん

鼠尾さんが活動したネパール東部のバラビセ。足の踏み場がないほどれんがが散乱している(JICA提供)

 4月25日にネパールを襲ったマグニチュード7.8の大地震から2カ月が過ぎた。死者は8000人を超え、今もなお土砂崩れなど二次災害の懸念は続いている。地震発生直後から国際協力機構(JICA)の国際緊急援助隊医療チームの一員として、被災者の治療に携わった川崎医科大付属病院(倉敷市松島)の看護師鼠尾弘恵さん(35)=岡山市=に現地での活動を聞いた。

 ―ネパール派遣の経緯は。

 発生翌日の4月26日午後9時ごろ、JICA事務局(東京)からパソコンに打診のメールが届いた。提示された滞在期間は約2週間。病院の許可を得てOKの返事を済ませ、27日の始発新幹線で成田空港に向かった。招集されたのは医師、看護師、薬剤師ら約50人。JICAが管理する空港内の倉庫から手術台や人工透析に使う大型機材を運び出し、飛行機に搬入した。

 ―現地入りに際して地震の影響は。

 バンコクを経由してネパールの首都カトマンズの空港へ向かったが、インフラがダウンしたためか、管制機能が失われ、空港は多くの飛行機で混雑していた。上空を1時間ほど旋回してようやく着陸。滑走路で飛行機を降り、ターミナルまでの約2キロを歩いて移動した。空港でネパール政府の指示を待ち、行き先は東部の山間地バラビセ(人口約5万人)に決まった。主要道路が寸断されていたため、ネパール軍のヘリを要請した。

 ―甚大な被害が出た中でどのように活動したのか。

 家屋のれんがが崩れて散乱する中、倒壊した学校の校庭にテントを設営し、診療所と入院患者を受け入れるスペースをなんとか確保できた。ラジオで日本の支援を知った住民たちが殺到し、足をけがした妻をおぶって10時間掛かりで山を下りてきたという男性もいた。頭蓋骨の骨折や肘の脱臼、妊婦の破水など症状はさまざま。時間を忘れて治療の優先順位を決めるトリアージやけがの応急処置などに明け暮れた。

 ―過酷な状況下で苦労も多かったと思われる。

 水道やトイレは学校に使える設備が残っていたので困らなかったが、問題は気温。昼は30度を超え、Tシャツが汗でびっしょりになった。夜はブルゾンを着て寝袋に入っても目が覚めるほどの寒さで体調管理が大変だった。設備面では、大型機材は陸送しかできなかった。片道約4時間も掛かる上、何度も往復しなければならず、頭を抱えた。目の前の患者に十分な治療ができないまま、首都の病院へ移送したケースもあり、もどかしさを感じた。

 ―今回の活動を通じて得た教訓は。

 予期せぬトラブルに見舞われても冷静さを失わず、最大限の成果を目指して行動することの大変さを実感した。今回は現地の住民が友好的で、心身ともに大変な状況でも規律正しく行動してくれたが、地域によっては文化や風習、宗教などに特段配慮しなければ、現場がパニックに陥ることも予想される。国ごとの事情を理解した上で、緊急事態への対応を何通りもイメージしておく事前準備が支援の質を左右すると思う。ネパールでの教訓を同僚たちと共有し、今後の医療活動に生かしていきたい。

 ◇

 ねずお・ひろえ 2003年から災害派遣医療チーム(DMAT)のメンバーとして活動。新潟県中越沖地震(07年)や東日本大震災(11年)の支援に携わった。12年にJICA国際緊急援助隊医療チーム登録。川崎医科大付属病院には06年に入り、高度救命救急センターに所属。北海道釧路市出身。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2015年06月28日 更新)

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