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(5)運に委ねる 1歳を救った小児ドナー

香奈さんの背中にしがみつく長女。香奈さんにとって、この「日常」が何よりうれしい=9月

 視線の先には、よちよちと歩きながらギュッとしがみついてくる長女(2)の姿があった。

 「こんな日がくるなんて、今も信じられないような気持ちです」。九州地方で暮らす吉村香奈さん(39)=仮名=は、自宅リビングで夕食の準備をしながら頬を緩めた。

 いたずらはするし、4歳の兄とのけんかもしょっちゅう。でも、その「日常」が香奈さんにとっては待ち遠しかった。

 長女の異常に気付いたのは、生まれてすぐの2015年9月。どこか元気がなく、産婦人科の看護師も「保育器が壊れているのかしら」と口にするほどだった。

 転院した九州地方の大学病院で、直ちに新生児集中治療室(NICU)に入った。検査の結果、医師から告げられたのは「肺高血圧症」。中でも、生まれつき肺動脈の血管が狭く、酸素をうまく取り込めない難病と分かった。

 何度も呼吸困難に陥り、酸素や、血管の筋肉を緩める一酸化窒素を吸入しながら治療を続けたが、死と隣り合わせの状況に変わりはなかった。医師団は根治治療となる肺移植の検討を始めた。

わずか15例

 「小さくても移植はできます。臓器が来るか来ないかは運です。チャンスを待ちましょう」。16年4月、医師団からの連絡を受け、往診に来た岡山大病院の大藤剛宏・臓器移植医療センター教授に、香奈さんはこう励まされたという。

 「運」という言葉が、小児移植を巡る厳しい環境を物語っている。

 10年施行の改正臓器移植法は、15歳未満の子どもにも移植の道を開いた。小児から提供された肺や心臓は、その大きさが合う小児に移植されるのが一般的で、それまで海外渡航に頼るしかなかった親たちは、改正法に期待をかけた。

 しかし、今年10月末までの臓器提供は15歳未満で15例、うち6歳未満は7例にとどまる。大人を含む同期間の総数(399例)の4%にも達しておらず、子どもが移植手術を受けられる可能性は極めて低いと言わざるを得ない状況だ。岡山県内の医療関係者からは「突然の病気や事故で幼いわが子が脳死状態になり、悲嘆に暮れる親に、臓器提供の話をするのはためらう」といった声が聞かれる。

99人が待機

 「もし、この子に何かあったら、この子の臓器を提供しよう」。そう覚悟を決めていた香奈さんと夫に今年5月、岡山大病院からドナー(臓器提供者)発生の連絡が入った。香奈さんは耳を疑い、夫は言葉が出なかった。

 ドナーとなった6歳未満の男児から摘出された肺は翌日、大藤教授の執刀で長女の胸に収められた。血流を再開させると、小さな肺は、しぼんだり膨らんだりを繰り返すようになった。国内最年少となる1歳7カ月での肺移植手術の成功だった。

 「決してバラ色ではありません」と香奈さんは言う。移植した肺は、長女の体にとっては異物となる。免疫が攻撃しないように一生、抑制剤を飲まなければいけない。免疫を抑える分、感染症には注意が必要だ。

 それでも、生まれてから移植手術が成功するまで一度も自宅に戻れなかった長女と家族4人で暮らせる幸せを感じている。ドナーの家族に宛てた手紙には「笑顔で生きていける未来を切り開いていただいた」と感謝の言葉をつづった。

 15歳未満で移植を待っているのは、各臓器合わせて全国で99人(10月末現在)に上る。

 移植医療の現状、長い待機期間、看護する家族の苦悩…。香奈さんは待機患者の家族になったからこそ、分かることがある。

 「体験を多くの人に伝えることが、娘の命をつないでもらった自分たちにできること」。それが移植医療の発展につながると信じている。 
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2017年11月22日 更新)

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