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(6)QOD 納得できる「最期」考える

20代男性から摘出した臓器をクーラーボックスに収め、移植患者が待つ病院へ運ぶ医師ら=10月13日、岡山大病院

 10月上旬。岡山大病院(岡山市北区鹿田町)の高度救命救急センターに搬送されてきたのは、20代の男性だった。頭に深い傷を受け、状態は日を追うごとに悪くなっていった。

 「残念ですが、息子さんは脳死とされ得る状態です」。瞳孔の散大、平たんな脳波などを確認した中尾篤典センター長(50)=救急医学教授=は両親に伝えた。

 救急医として、脳死宣告は、救命できなかったことを意味する。敗北感にも似た感情を抱く中、気持ちを入れ替え、家族と最期の迎え方を話し合う。

 幼少期の思い出話などひとしきり話した後、「引き続き、積極的な治療は可能です。最低限の治療で自然に任せることもできます」と言い、こう続けた。「臓器提供という選択肢もあります」

 10月10日午後4時55分。臓器提供を希望した両親は承諾書にサインした。心臓、肺、肝臓、腎臓がクーラーボックスに収められ、各地の病院へ出発したのは、それから3日後の朝だった。

おくりびと 

 救命救急センターには、突然の病気や事故に見舞われた患者が運ばれてくる。分単位で人が亡くなり、人が助かる。生と死が激しく交錯する場所だ。

 「『おくりびと』だと思っています」。中尾センター長は自らの仕事の別の一面をこう表現する。死期が迫り、悲嘆に暮れる家族に対し、どう最期を迎えるのがいいか、一緒に考えるのだという。

 最後まで希望は捨てないという家族もいれば、見るに忍びないと静かな看取(みと)りを選ぶ人もいる。耳を傾ける中で、脳死状態の患者の家族には臓器提供も提示する。

 「提供数を増やすのが目的ではない。『誰かの体の中で生きている』『最後の最後で人の役に立った』と、納得して死を受け入れ、看取ることができる家族もいる。死の質(QOD=クオリティー・オブ・デス)を向上させる終末期医療の一つだ」

 厚生労働省が示した臓器移植法のガイドラインや提供施設向けのマニュアルには、医師から家族に対し、臓器提供の機会があることを知らせる「オプション提示」という手法が明記されている。中尾センター長は「臓器提供が目的であり、QODの視点が欠けている」と指摘する。

 日本臓器移植ネットワークによると、事故や病気で毎年およそ110万人が亡くなり、そのうち脳死は約1%とされる。年間1万人余りが脳死になっている計算だが、最も臓器提供が多かった年でも64人(2016年)にとどまる。

日本の良さ 

 こんなデータがある。人口100万人当たりの臓器提供者数(13年現在)を国別に見ると、35・1人のスペインがトップで、米国は26人。日本は0・7人と少なさが際立つ。

 岡山大病院の救急医、尾迫貴章助教(45)は「日本には日本の良さがある。そこを地道に追求していけばいい」と言う。思いを強くしたのは7年前、スペインを訪ねた時だった。

 訪問の目的は同国の移植システムの視察。提供数がはるかに及ばない日本との違いを探るためだった。

 専任のコーディネーターを中核病院に配置し、摘出手術もメインオフィスから医師が派遣されるなど、システム化されていた。

 提供の意思確認も日本とは真逆だった。本人が生前、提供に反対の意思を示していない限り、提供するものとみなされる「オプト・アウト」という方式を採用。実際には家族の同意が必要だが、移植コーディネーターは、提供が前提のように話を進める。

 「まるでハーベスト(収穫)。臓器の収穫だ」と尾迫助教は振り返り、こう続ける。「本人や家族の意思を最優先にした上で、救急医も含め、みんなで終末期を考える。その意識が根付いていけば、移植医療も変わっていく」
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2017年11月23日 更新)

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