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<追悼>旭川荘旭川療育園名誉園長 堀川龍一さん 障害児療育普及に尽力

三木記念賞受賞の喜びを語る堀川龍一さん=2002年9月

 ぼくとつで温かい―。かつての同僚や後輩は、こう評する。社会福祉法人旭川荘(岡山市祇園地先)の施設責任者を務めながら、約三十年間、車で岡山県内各地への巡回診療を続けるなど障害児療育の普及に尽くした。

 鹿児島県出身。九州帝国大医学部卒。一九五五年、親類で川崎病院(岡山市)創設者・故川〓祐宣氏に請われ同病院整形外科医長に。初代理事長となった川〓氏の下で社会福祉法人旭川荘創設(五七年)に携わり、肢体不自由児施設・旭川療育園の初代園長となる。

 身体障害者分野は「堀川」、知的障害者らの児童福祉は「江草」―。旭川荘の両輪として、ともに発展に尽くしてきた江草安彦理事長は「口数は少なくまじめ。竹を割ったような“薩摩隼人”だった」。人柄を懐かしみ、先進的な障害児の療育、医療を岡山に根づかせた功績をたたえる。

 小児科医として毎週、旭川療育園に通い、親交のあった梶谷喬・前川崎病院長も「人間味ある人柄は職員から慕われていた」と思い出を語る。ジョギング好きで早朝、岡山市内の自宅から後楽園まで走り、海外のマラソン大会にも出た。

 一貫して「障害のある子どもから高齢者までをケアし社会参加を進める」という、旭川荘創設当初からの理念を実践した。障害児の成長に伴い、成人の療護施設「竜ノ口寮」を開設し、社会参加のための授産施設「吉備ワークホーム」も設けた。九三年に後を継いだ小田浤・旭川療育園長は「常に子どものことを考えていた。寡黙な背中から多くを学んだ」と語る。

 体調を崩した晩年は自らつくった療育園で、子どもたちを見守りながら生涯を終えた。本人の希望だったという。

 故人をしのぶ堀川家、旭川荘合同の「お別れの会」は三十日午後二時から、岡山市平井のエヴァホール岡山で行われる。

(注)〓は崎の旧字
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2005年07月30日 更新)

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