乱世をいかに生きるか 倉敷中央病院長 小笠原敬三

 鴨長明は、源平合戦から鎌倉時代初期に生きた人です。賀茂御祖(かもみおや)神社(下鴨神社)の神事を統率する鴨長継の次男として京都で生まれ、俊恵の門下に学び、歌人としても活躍しました。

 「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」で始まる「方丈記」は、1212年に成立した和漢混淆(こんこう)文で、隠棲(いんせい)文学や無常観の文学とも言われ、乱世をいかに生きるかという自伝的な人生論ともされています。平安時代の清少納言「枕草子」、鎌倉時代後期の兼好法師「徒然草」と並んで日本の三大随筆の一つとして有名です。

 安元3(1177)年の都の火災、治承4(1180)年に同じく都で発生した竜巻、およびその直後の福原京遷都、養和年間(1181〜82年)の飢饉(ききん)、さらに元暦2(1185)年に都を襲った大地震など、自らが見聞した天変地異に関する記述を書き連ねており、後半には自らの草庵での清々(すがすが)しい生活が語られています。

 「方丈記」に書かれている、移り行く「もののはかなさ」は、晩年、自分の人生を振り返っての感想であり、青年期には、ものに憑(つ)かれたように、生死も顧みず現場に赴き、自ら目撃者となろうとします。現実世界の惨状を見つめたとき、自分は生きていることを実感したと思われ、困難な時代を生きていく青年の好奇心に溢(あふ)れた逞(たくま)しさを感じました。

 長明が考案し、晩年使用した移動式住居が再現され、下鴨神社境内の河合神社に展示されており、見ることができます。
(2014年3月20日付山陽新聞夕刊「一日一題」) 

(2014年03月20日 更新)

※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

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