まび記念病院で緊迫の患者救出 稲葉医師「時間との闘い」語る

まび記念病院から患者を避難させた状況を振り返る稲葉医師=14日、倉敷市立薗小学校

浸水した倉敷市真備町地区のまび記念病院(手前の建物)一帯=8日、ピースウィンズ・ジャパン提供

 西日本豪雨で甚大な浸水被害を受けた倉敷市真備町地区。濁流は7日朝、地区の中核病院「まび記念病院」にも押し寄せた。冠水し、機能を奪われた“地域医療の砦(とりで)”に取り残された高齢の入院患者約70人の避難が完了したのは8日午後。緊迫した「時間との闘い」を、緊急支援チームの一員として現場入りした医師の話を基にたどった。

 緊急支援チームを派遣したのは、人道支援NPO「ピースウィンズ・ジャパン」(本部・広島県神石高原町)。岡山大病院の医師が間を取り持った。NPOメンバーで調整役の稲葉基高医師(39)=津山高出身=ら6人が、NPOの水陸両用車でまび記念病院に駆け付けたのは8日午前11時半。病院に避難していた周辺住民の救助が自衛隊により進められていた。

 入院患者については、緊急度が高い透析患者の一部約10人を消防がヘリコプターで救出したほかは、めどが立っていなかった。

 病院内には「信じられない光景」が広がっていた。診療室のある1階は胸近くまで水に漬かり、医療用品がぷかぷか浮かんでいた。停電で検査機器は使えず、患者の容体を記録した電子カルテは閲覧できなくなった。空調も効かず、患者の体調に影響しかねないほどの蒸し暑さ。「今日中に入院患者全員を避難させたい」。沈痛な表情で病院長は言った。

 入院患者は70~90代で、認知症や関節症など症状はさまざま。一部残っていた透析患者やたんの吸引が必要な誤嚥(ごえん)性肺炎の患者は、一刻も早く脱出させる必要があった。稲葉医師らは伝えた。「チームはヘリコプターとボートを用意します。避難の優先順位を決めてください」

 患者約70人のうち、自力で歩けるのはごく少数。寝たきりの25人前後は介助を、30人近くは車いすを必要とした。個々の状態から避難順序を判断し、受け入れ先を確保するのは複雑な方程式を解くような作業だ。夜になれば避難は一層困難になる。「時間との闘い」が始まった。

 岡山県災害対策本部など関係機関は懸命の調整を続け、やがてまび記念病院に連絡が入った。「緊急度の高い患者はヘリコプターで岡山市の総合病院に」「倉敷市中心部と総社市にある民間3病院が計11人を受け入れる」。真備町地区で浸水を免れた場所には、避難に備え救急車を配置する手はずも整えられた。

 8日午後3時半ごろ、NPOのヘリコプター2機による避難が始まった。酸素吸入が必要な心不全患者ら8人を岡山市の岡山大病院と岡山赤十字病院にピストン輸送。別の11人はボートで脱出させた。ほかの患者もボートに乗せる計画だったが、水位が下がったことで自衛隊の車両で運んだ。職員を含め全員が病院を離れたのは、午後9時近くだった。

 救急医として今春まで岡山市の総合病院に勤務した稲葉医師は、熊本地震(2016年)で災害医療支援に当たった経験がある。まび記念病院での活動をこう振り返る。

 「高齢者ばかりの患者を過酷な環境にとどめておくのは限界にきていた。岡山県内で災害医療に携わる関係者の協力で、支援開始当日のうちに避難を済ませることができた」

 稲葉医師は現在、真備町地区の薗小学校で医療支援に当たっている。

(2018年07月18日 更新)

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