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第6部 命の値段 (1) 抗がん剤 1回7万円 家計を直撃

テレビの設置作業をする藤原さん。病の苦悩とともにお金の問題とも日々向き合う

 朝から雨が続いていた。

 「あー、指先がビリビリする」

 玉野市の宇野港を望むビルの一室。テレビを納品、設置していた藤原義一さん(52)=同市築港=は思わずコードを床に落とした。

 大腸がんの抗がん剤治療を始めて1年半がたつ。経過は良好だが、点滴後しばらくは手足のしびれや吐き気、体のだるさなどの副作用に苦しむ。特に雨や寒い日はひどい。

 妻、母と3人暮らし。家業の電器店を母と2人で切り盛りする。体はきついが、休みたくても休めない。想像を超えた治療費が家計にずっしりのしかかっているためだ。

  ~

 「えっ、7万円? うそだろ」

 2008年11月。手術で腫瘍を摘出して2カ月余りの入院を終え、外来で最初の抗がん剤治療をした時のことだ。窓口で請求された金額に目を疑った。持ち合わせが足りず、ATM(現金自動預払機)に駆け込んだ。

 治療は2週間に1回。月にすると十数万円。「通院でそんなにお金がかかるとは夢にも思わなかった」と藤原さん。

 患者負担を軽減する「高額療養費制度」のおかげで、実際の月々の支払いは約4万4千円に抑えられている。しかし、窓口では患者3割負担の全額を立て替えねばならない。健康保険から自己負担限度額を超えた医療費が還付されるのは3カ月先だ。

 昨年春、ローンがまだ残っていた自宅を売却。仕事で必要な軽トラックを残し、マイカーは売った。妻もパート勤務を始め、何とかやりくりしている。

 「退院して経済的に楽になると思っていたのに…。泣けてきたよ。生きるも地獄だなって」

 この治療がいつまで続くのか。見通しもたたないままだ。

  ~

 「高額の新薬がどんどん出てきて、通院で月10万円を超す治療は珍しくない」

 藤原さんが通う岡山赤十字病院(岡山市北区青江)の渡辺洋一がんセンター長が話す。

 藤原さんの治療は複数の抗がん剤を組み合わせる。特に高額なのがエルプラットだ。100ミリグラム約7万円で、1回120ミリグラム。これに別の抗がん剤や副作用対策の吐き気止め薬、検査などが加わる。

 抗がん剤にはもっと高い薬もある。大腸がんのアービタックスは1回約14万円、悪性中皮腫のアリムタは1回35万円…。

 特に近年、分子レベルでがんのメカニズム解明が進み、特定のタンパク質に働きかけて効率的にがんを抑える新薬が増えてきている。

 渡辺センター長は懸念する。

 「その分、膨大な製薬会社の開発費が価格に跳ね返る。“効く”がゆえ、使用も長期になりがちだ」

  ~

 高齢化と医療の高度化が進行し、20年前(1990年度)はわが国の1人当たりの国民医療費は16万6700円だったのが、07年度には26万7200円と1・6倍にも増えている。

 一方、国の制度改革で、患者の自己負担額は90年代からじわじわ増加。サラリーマンなどの被用者保険では70歳未満の被保険者本人が97年に1割から2割になり、03年から3割に。70歳以上も02年に定額負担から1割の定率負担に変更された。

 入院中も含め既に150万円以上を治療に投じた藤原さんは冗談めかして言う。

 「もう、命が先か、お金が先かって感じだな」

 最近、朝起きた時に指が曲がらず、寝床で10分ほどマッサージする。副作用が強いエルプラットは主治医と相談して昨年末から一時中断、他の抗がん剤も3週間に1回のペースに落とした。それでも、支払いは月々数千円下がっただけだ。

 時に、こんな弱音も出る。

 「抗がん剤をやめてしまって、がんが大きくなったら手術しようと思ったこともある。そうすれば1回の治療で済むんじゃないかってね…」

     ◇

 誰もが安心して医療を受けられる国民皆保険制度の足元が揺らいでいる。上がり続ける「生きるための代価」は誰がどう負担するのか。地域の医療現場で考える。


ズーム

 高額療養費制度 患者の負担軽減のため1973年に導入された制度。一定の限度額を超えた医療費が健康保険から払い戻される。限度額は年齢、所得で変わり、国民健康保険で70歳未満の場合、上位所得者(年間所得600万円以上)は約15万円、一般(同未満)は約8万円、住民税非課税者は約3万5千円。年4回以上支給を受ければ4回目から下がり、一般だと4万4400円になる。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2010年05月24日 更新)

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