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52 出会い 患者支援で慈善公演

佐川由紀子さんはシャンソンのスタンダードだけでなく童謡やクラシックも歌い、みんなの心を癒やしてくれた=2009年11月28日、岡山県立美術館ホール

 病を患い、命の限りを知らされ、わらにもすがる思いで「移植の門」の扉をたたいた。1年以上寝たきりに近い生活が続き、失ったものを数え上げればきりがない。

 それでも、この道を選ばなければ、決して得られることのなかっただろう出会いがいくつもある。

 ようやく仕事を再開した昨年春、河本純子さんから電話をいただいた。肝移植に挑んだ夫公男さん(連載第23~25回で紹介)のドナーになり、1年4カ月あまりで公男さんが亡くなった後も、共に闘病した私たちを支え続けてくださっている。

 河本さんの友人の夫も肝移植レシピエントなのだが、親せきにシャンソン歌手がいらっしゃる。各地で臓器移植患者や難病の子どもたちを支援するチャリティーコンサートに取り組んでいるが、岡山でも公演計画があるので協力しましょう―というお話だった。

 その歌手は横浜市でピアノパブも営んでいる佐川由紀子さん。シャンソンには詳しくないが、佐川さんがチャリティーを始めたきっかけの一つは、「千の風になって」との出合いだったそうだ。その歌なら知っている。

 12行の短い英語の原詩に、芥川賞作家の新井満さんが曲をつけた。クラシック歌手秋川雅史さんが朗々と歌い上げて大ヒットしたが、佐川さんは新井さんの許諾を得て、以前から大切に歌い継いでいるのだという。

 音楽で癒やしの輪を広げることに、もろ手を挙げて賛成だ。腹水の 穿刺 ( せんし ) 針がおなかに刺さっている時も、iPod(アイポッド)で好きな曲を聴いて痛みを忘れることができた。IVR(放射線診断技術の治療的応用)治療室で流れていたクラシックも、恐怖心を幾分か和らげてくれたような気がする。

 佐川さんは、収益を岡山の肝移植経験者みんなのために寄付してくださるとおっしゃる。ところが、私の知る限り、岡山には寄付の受け皿になるような患者の集まりがない。

 実は、患者会の設立は私の目標でもあった。2007年末、岡山大病院肝移植チームのチーフ八木孝仁医師( 肝胆膵 ( かんたんすい ) 外科長)に手術を受諾していただいた際、元気になったら二つのことをやりたいとお願いしていた。一つはこの体験記の連載。もう一つがドナーとレシピエント、家族が交流し、語り合う場をつくることだった。

 意欲はあっても、一人では何もできなかっただろう。移植をきっかけにした出会いが、目に見えない力で歯車を回し始めていた。

 本紙記事(昨年11月22日付朝刊)でも、チャリティーコンサートと「岡山肝移植交友会」設立への協力を呼びかけた。マッチポンプにはしたくない。もう後へ引けない。

 11月28日、岡山県立美術館(岡山市北区天神町)。212席のホールに何人来てくださるのか…岡山初公演の佐川さんも心配だったろうが、私も不安でいっぱいだった。

  杞憂 ( きゆう ) だ!

 ほぼ満席になった館内を見渡し、目が潤んできた。


メモ

 千の風になって 原詩「Do not stand at my grave and weep(私の墓の前に立って泣かないで)」の訳詞としては、新井満さんに先駆け、1995年、南風椎(はえ・しい)さんが翻訳出版している(「1000の風 あとに残された人へ」三五館)。米国の主婦メアリー・フライさん(2004年死去)が1932年、友人を慰めるために書いた詩とする説が有力。楽曲は新井さん本人をはじめ、新垣勉さん、加藤登紀子さんら多数の歌手によるバージョンが発売されている。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2010年06月28日 更新)

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