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チクバ外科・胃腸科・肛門科病院 竹馬浩会長、竹馬彰理事長兼院長、瀧上隆夫名誉院長 専門性高め地域に貢献

竹馬浩会長

竹馬彰理事長兼院長

瀧上隆夫名誉院長

建設中のチクバ外科・胃腸科・肛門科医院(右の建物)=1972年(病院提供)

現在のチクバ外科・胃腸科・肛門科病院

 <「お尻のチクバ」で知られるチクバ外科・胃腸科・肛門科は1972年8月、19床の有床診療所として開院した。最初の5カ月間の新規患者数は3202人。手術件数は372件で、痔(じ)疾患が7割を占めた>

 竹馬浩 岡山大学医学部第一外科での医局時代、大腸がんを研究していました。「これからの日本は大腸疾患が増える」という見通しもありました。大腸がんを見つけるにはお尻から診断しなければなりません。だから肛門疾患の研究も積み、大腸と肛門の専門病院を目指したのです。

 お尻の病気で困っている患者さんは大勢いましたが、専門医は岡山県内にはほとんどいませんでした。肛門疾患の治療は遅れていて、痛いし、治るまで時間がかかっていました。私は痛みの少ない新しい治療法を実践したところ、患者さんは年々増え、一番多い年には全国各地から1400人ほども来られました。

 <開業した72年は沖縄が本土に復帰し、日中国交正常化が実現、田中角栄元首相が全国を高速交通網で結ぶ「日本列島改造論」を発表した年。73年のオイルショックで一時凍結された瀬戸大橋の建設工事は78年に始まった>

 竹馬浩 この地に病院を開いたのは、県道に面し、1坪5万円以下で500坪―という用地買収の条件と合致したからです。開院前は水島第一病院に勤務していたので、患者さんが多く住んでいた水島の周辺で土地を探していました。現地はそばに郷内川が流れ、辺りは田んぼという、のどかな環境も気に入りました。瀬戸大橋の着工が決まってからは、この辺の地価は倍くらいに値上がりしたものです。

 <チクバ外科の躍進を支えたのは、先進的な痔の治療に加え大腸内視鏡による検査と治療だ。今では欠かすことのできない内視鏡だが、当時は発展途上。時間ばかりかかって前に進まず、患者も苦しんだ。その壁を乗り越えたのが、78年の大学卒業と同時に就職した瀧上隆夫だった>

 瀧上 大腸は約150センチあり、柔らかく曲がりくねっています。道なりに内視鏡を入れようとしても、どうにも入らないのです。当然ですが傷付けてはならず、肛門から盲腸まで進むのに何時間もかかり、途中で断念する場合もありました。患者さんの苦痛も大きかったが、むしろ医師が嫌がった検査でした。

 そんな時に出会ったのが、内視鏡による診断・治療のパイオニアとしてニューヨークで活躍していた新谷弘実先生でした。東京で開かれたセミナーに参加すると、曲がっている腸管をアコーディオンのように畳んで真っすぐにし、内視鏡を入れていく。数時間の検査が10分以内で終わる。マジックのようでした。

 <その話を聞いた竹馬浩は知人を介して新谷医師と連絡を取り、82年、瀧上をニューヨークに送り出した。米国の医師免許を持たない瀧上は内視鏡には触れられなかったが、新谷医師のもと、8カ月間で約2千の症例を見学した。帰国後は独自に修練を重ね、最先端の診断法をものにした>

 竹馬彰 それをきっかけに、当院は大きく発展しました。瀧上先生の内視鏡検査が増えるとともに大腸のポリープやがん、さらにクローン病や潰瘍性大腸炎といった炎症性腸疾患(IBD)の治療も増えました。われわれの守備範囲が広がり、知識と経験も深まり、今の当院を特徴付ける「肛門疾患」「大腸がん」「IBD」という治療の3本柱が確立したのです。

 <2009年には老朽化した病院を新築移転した。現在、肛門手術は年間約千件、早期大腸がんなどに対する内視鏡手術は約900件、消化管の内視鏡検査は約1万4千件に達し、大腸・肛門領域に特化した専門病院として、中国四国地方の基幹施設となっている。18年には竹馬彰が理事長兼院長となりトップを一本化。次代に向けての一歩を踏み出した>

 竹馬彰 大腸がんやIBDの患者さんは増えています。難しい病気ではありますが、近年、効果的な薬剤が次々開発され、治療をめぐる状況は大きく変わりました。IBD治療では、当院は岡山大学病院、川崎医科大学付属病院などと並ぶ県内の拠点施設です。7、8割の患者さんで症状が落ち着いて社会生活が送れる寛解の状態が望めます。

 今は経営環境の厳しい、不安定な時代です。だからこそ当院の専門性はこれからも高めていかなければなりません。そのコアになる部分をしっかり固めた上で、周辺の診療所、介護施設などとの連携を深め、地域の高齢者らの生活を支える役割を担っていきたいと思っています。

 ちくば・あきら 倉敷天城高校、香川医科大学(現・香川大学医学部)卒。栃木県立がんセンター、恵佑会札幌病院を経て、1992年、チクバ外科・胃腸科・肛門科病院に勤務。2000年に副理事長。12年に理事長に就任し、18年から院長兼任。日本大腸肛門病学会指導医、外科専門医、日本消化器内視鏡学会専門医など。

 ちくば・ひろし 岡山操山高校、岡山大学医学部卒。岡山大学病院講師、水島第一病院外科部長などを経て1972年、倉敷市林にチクバ外科・胃腸科・肛門科医院を開業。79年、51床に増床してチクバ外科・胃腸科・肛門科病院に。89年に医療法人天馬会を設立し、理事長に就任。医学博士。山歩き、写真、園芸などが趣味。

 たきうえ・たかお 高梁高校、岡山大学医学部卒。1978年にチクバ外科・胃腸科・肛門科医院に就職。82年に渡米し、胃腸内視鏡学のパイオニアである新谷弘実医師に師事し大腸内視鏡検査を学んだ。2000年にチクバ外科・胃腸科・肛門科病院院長、18年から名誉院長。日本大腸肛門病学会専門医・指導医、日本臨床肛門病学会理事。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2021年06月21日 更新)

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