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天和会松田病院 松田忠和理事長・院長 松田達雄副理事長 「救急」から肝胆膵専門へ

松田忠和理事長

松田達雄副理事長

松田和雄氏

1960(昭和35)年に新築された鉄筋コンクリート造り3階建ての松田病院東病棟。80床に増床した(松田病院提供)

 <JR倉敷駅の東、商店街そばにある松田病院は、岡山県を代表する肝胆膵の専門病院だ。ルーツは戦後の混乱期が一段落した1955(昭和30)年12月、松田和雄(1924~2005年)が開設した外科松田病院にさかのぼる>

 松田忠和 父は当初、心臓外科を志していました。慶応大学医学部を卒業した後、東京女子医科大学教授で心臓外科のパイオニアであった榊原仟(しげる)先生に師事し、岡山市の榊原十全病院(現・心臓病センター榊原病院)に移ってからは仟先生の兄、亨先生の薫陶を受けました。岡山大学第一外科にも入局し、消化器外科の経験も積みました。

 <国内最先端の施設で研究に打ち込んでいた和雄は、世界水準の医療に触れるため米国留学を控えていた。その矢先、思わぬ事態に直面する>

 養子先である松田家の事業が不調となったのです。和雄は開業を決意しました。けれども、開業資金の融資を求める若い医師に、銀行は簡単には応じてくれません。苦労したようです。ただ、前向きな人でした。幼い私がしょんぼりしているとき「どこに行っても青空はあるから」と言って聞かせるような父親でした。

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 <開院に当たっては、需要の大きい消化器外科を柱にした。交通事故の急増に対応して救急医療にも力を入れ、地域救急の先駆的役割も果たした。1964(昭和39)年1月15日には松田病院の存在を知らしめる“事件”が起きた。倉敷市内を走っていた市営バスが道路脇の水路に転落、84人が死傷した。負傷者は市内の4病院に搬送され、松田病院は50人近くを受け入れた。その状況は全国ニュースで放映された>

 交通事故では骨折や頭部外傷が多かったため、岡山大学の協力を得て、整形外科や脳神経外科にも力を入れました。バス事故の時は院内は負傷者であふれ、その日にあった成人式に出席していた看護師らも呼び戻して救命に当たりました。

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 <昭和50年代に入ると周辺病院も救急医療に力を入れた。医療の高度化、専門化も進んでいた。そのころ、長男の忠和は岡山大学第一外科で肝臓移植の研究に取り組み、博士号を取得した。肝臓外科の黎明(れいめい)期にあり、難易度の高い肝胆膵がんの手術を多数手掛け、国内外で注目された。その忠和が大学を辞し、1985(昭和60)年、松田病院消化器外科部長に着任。肝臓疾患を中心とした消化器がんの専門病院への転換を図る>

 当初は苦労しました。がんの手術を予定していた患者さんに手術前日、「別の病院に移りたいから紹介状を書いてくれ」と言われ、悔しい思いをしたこともあります。

 <忠和はイメージを一新させるため新病院を建設。熟練の手技による肝切除手術、特殊な針を刺して電磁波で腫瘍を焼くラジオ波焼灼(しょうしゃく)術、がん病巣に栄養を送る血管をカテーテルでふさぐ肝動脈塞栓(そくせん)術や肝動脈化学塞栓療法など先進的な医療に取り組んだ。他病院で治療できないと言われた末期がんの患者が最後の望みを託して訪れるようにもなった。患者を引きつけたのは、その医療水準の高さだけでなく、患者一人一人に向き合い、よりよい医療をともに追求しようという誠実な姿勢にもある>

 患者さんとは治療の可能性について、互いに納得するまでとことん話し合いました。患者さんの様子が少しでもおかしければ、夜中であってもすぐに病室に向かいます。そういう性分なんです。「先生が来たら足音で分かる」と患者さんに言われたこともあります。

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 <昨年4月からは、忠和の長男・達雄が診療に加わった。祖父の母校である慶応大学医学部を卒業し、がん患者の受診が国内で最も多いがん研有明病院、米国留学を経て岡山大学病院でも修練を積んだ。忠和は「私の医療はアート、息子はサイエンス」と表現する>

 松田達雄 日本でトップと言われるような病院で勉強してきました。そうした大病院と同等レベルのがん治療を、当院の持つ家庭的な医療環境の中で実現したいと思っています。具体的には肝胆膵の領域に特化して、高度な急性期医療を提供していきます。

 その中で大切にしたいのは、父と同様に一人一人の患者さんに真摯(しんし)に向き合うことです。例えば、末期がんの若い患者さんがいて、手術の選択はあるが、5%くらいしか助からない場合であっても、患者さんが厳しい状況を理解した上で「挑戦したい」と言えば、その思いに応えられる外科医でいたいと思います。

 <その一方で、松田病院は慢性期患者のための医療療養病床38床を有し、訪問診療を手掛ける。終末期の苦しみを和らげる緩和ケアや看取(みと)りも行っている>

 がんの患者さんを自宅で看取るのは簡単ではありません。老老介護など高齢化している中ではなおさらです。地域のがん患者さんの最後の受け皿というのも、当院の大切な役割だと考えています。(敬称略)

 まつだ・ただかず 岡山大学医学部卒業。水島第一病院勤務などを経て岡山大学医学部第一外科助手を務め、1985年から天和会松田病院に勤務。2004年に理事長・院長。09年に松岡良明賞受賞。日本肝臓学会肝臓専門医、日本肝胆膵外科学会高度技能指導医、日本消化器外科学会消化器外科指導医など。

 まつだ・たつお 慶應義塾大学医学部卒業。同大学病院、がん研有明病院で腹腔鏡手術の修練を積み、米国シカゴ大学への留学を経て2018年岡山大学病院に赴任。2年間、同大学病院で肝胆膵外科診療を中心に従事し、20年から天和会松田病院副理事長。消化器外科専門医、消化器内視鏡専門医。

 まつだ・かずお 慶應義塾大学医学部卒業。同大学病院、東京女子医科大学附属日本心臓血圧研究所などを経て榊原十全病院に勤務、岡山大学第一外科にも入局。1955年、外科松田病院を開業した。57年に医療法人・天和会を設立し院長・理事長。岡山県病院協会会長も務めた。2005年死去。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2021年11月04日 更新)

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