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(4)年の瀬に振り返る医史 「自分の足跡も」と精進

雪の須貝邸

 「右足の踝(くるぶし)の上に、できものがあるので取ってくれませんか?」

 昭和8年生まれの女性、Tさんです。普段は高血圧、慢性胃炎などの薬を処方している患者さんです。しっかり歩いて診察室に入られるし、症状に大きな変化もなく、毎月の診療をしています。

 確かに右下腿(かたい)内側、踝から10センチほど上に、径が15ミリ、高さ3ミリ程度の腫瘤(しゅりゅう)があります。いわゆるイボ、尋常性(じんじょうせい)疣贅(ゆうぜい)でよさそうです。津山在住の娘さんにご来院いただき、同意を得た上で、疣贅を除去しました。局所麻酔をして、できものをそっくり取り除いて、念のため組織検査にも出しました。結果はやはり尋常性疣贅。悪性所見もなく、Tさんにもお伝えしました。しっかりと安心されたご様子でした。

 Tさんは新庄村で生まれて、村内で嫁がれたとのことでした。診療所に来られる同年代の患者さんはたくさんいらっしゃいます。高血圧や骨粗鬆症(こつそしょうしょう)などが基盤で、不応性貧血や、慢性腎臓病、今回のTさんのように、皮膚腫瘍が認められる方も。暮らしぶりもさまざまで、大正生まれで2人の息子さんと住んでいる方、1人暮らしで時には畑にも出られるような方。一軒々々に違った生き方がある中で、そういった背景を踏まえながら、いろんな事態の最善を目指します。

 Tさんたちがお生まれになられた頃の村の医療状況について、昨年まで副村長をお務めになられていたOさんから資料を頂戴しました。村史からの抜粋です。この村が出雲街道の宿場町であった江戸時代のことは、別の機会に考察するとして、この昭和の初めの頃の記載を読んでみましょう。

 『(江戸時代の)其後は石原菊太郎、石原正丰、池町曦二、須貝忠治郎、岡崎医師と続いた。姫新線の開通の頃からは県境の一寒村の状態に陥入り迎えて来て優遇しても、医者の文化生活と子弟の教育にどうする事も出来ない矛盾が生じ、自然無医村の状態になることもあった』と、少々長い引用でした。

 記載のあった姫新線の開通は昭和11年です。それまでは宿場町として栄えていたのでしょう。人口も昭和5年で1900人を超えていたようです。

 村史の編纂(へんさん)は昭和44年ですが、現在唱えられている地域医療の課題、さらに医師やその家族の生活にまで踏み込んだ問題点の抽出など、これからも熟考せざるを得ない案件の提示があります。

 先ほどの引用にあった歴代の医師の名前に(その後のことも、別途、考察する時も来るでしょう)自分も連なっているのかと身の引き締まる想いですが、さて、その中の「須貝」医師。そういえば、がいせん桜通りの、1日2組限定の宿「須貝邸」(ミシュランの星付き)は昔のお医者さんの家の古民家再生と聞いていましたが、ここでつながるのですね。村も須貝邸も、雪の中でも温かいもてなしを身上としている新庄です。

 村の医療の歴史を汚さないように、自分の足跡も、残して行かねばと、精進に励む年の瀬です。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2021年12月20日 更新)

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