文字 

一般財団法人倉敷成人病センター 須原貞子さん(須原銀兵衛氏の妻)、安藤正明理事長 臨床、研究、予防柱に進化

安藤正明理事長

須原銀兵衛氏 1970年撮影、倉敷成人病センター提供

1970年ごろの倉敷市住吉町。中央の白い2階建ての建物が須原外科(倉敷成人病センター提供)

シンガポール中心街のビル内にあるJGHジャパングリーンクリニックとデンタルクリニック。日本人医師らが1日百数十人の患者を診察している(倉敷成人病センター提供)

 <婦人科領域の手術実績で全国トップクラスにある倉敷成人病センターのルーツは、1968(昭和43)年、倉敷市住吉町=現在の中央2丁目=に開院した診療所「須原外科」にさかのぼる。創設者は、当時32歳の須原銀兵衛。前年には、在籍していた岡山大学でのがんに関する研究成果が大きく報道され、世間の注目を浴びていた。診療所の外来には1日300~400人の患者が訪れたこともあったという>

 須原貞子 連日多くの患者さんで、皆さんとても忙しくしていました。開院から3年目には、白楽町にもっと広い土地を求め、新築移転することになったのです。

□   ■

 <9床で始まった須原外科は70年には86床の須原病院となる。71年には病院の運営主体となる財団法人倉敷成人病センターを設立。さらに増床して164床となった。附属癌(がん)研究所と検診部門を併設し、「臨床」「研究」「予防」を事業の3本柱とする>

 安藤正明 運営主体を医療法人ではなく財団法人としたのは「社会貢献」に向けた強い思いの表れでしょう。民間病院でありながら収益にはつながらない癌研究所を設け、検診による予防医学も志しました。予防は今でこそ最重要課題の一つですが、当時は治療成績の向上に懸命だった時代です。須原先生は臨床にとどまらず、先を見通す幅広い視野を持った人でした。

 <須原の描くビジョンにひかれたのか、病院には人材が集まった。礎を築いた産婦人科の吉岡保、外科の常光謙輔、泌尿器科の荒木徹、リウマチ膠原病(こうげんびょう)センターの宮脇昌二、癌研究所の元井信は須原と岡山大学の同級生。須原は吉岡について、「僕にないものを全て持っている」と話していた>

 須原貞子 主人は病院第一の人でした。先生方や職員の人たちをとても大事にし、食事やお酒にもよく誘っていたようです。

 <病院の基盤が固まりかけた80年代に入り、須原は国内の民間病院では例のない海外進出に打って出た。83年にシンガポール。91年にはロンドン、2003年には中国・上海にクリニックを開設した。倉敷成人病センターの名は国内外に広まった>

 須原貞子 最初にクリニックを設けたシンガポールは日本人も多く住み、清潔で活気ある街です。主人はとても気に入り、「ここに診療所を出したい」と現地から電話をくれたのを思い出します。

□   ■

 <1986年には安藤正明が産婦人科に加わった。安藤は、後に婦人科悪性腫瘍における腹腔鏡下(ふくくうきょうか)手術のパイオニアとなる>

 安藤正明 当院は、当初から患者さんの負担を考え、低侵襲な治療を基本としています。私の入職当時は主に子宮筋腫の患者さんに、おなかを切らずに子宮を摘出する腟(ちつ)式手術を行っていました。90年代に入って傷が小さな腹腔鏡下手術が注目され、当院では97年から始めました。卵巣がんや子宮体がんの開腹手術は、傷がすごく大きくなることがあります。98年からは、全国でほとんどやっていなかった腹腔鏡によるがんの手術にも着手しました。

 <子宮摘出が原則の子宮頸(けい)がんの患者に、腹腔鏡による子宮温存手術を日本で初めて行ったのは安藤だった。06年には安藤の温存手術を受けた30代の女性が出産。国内でも出産例は少なく、同様の疾患に悩む全国の女性やその家族に希望を届けた>

 安藤正明 当院でしかできない婦人科の手術はいくつもあります。例えば最近増えている子宮内膜症で、尿管や直腸に病変が生じた場合は、切除したうえで機能を取り戻す再建手術が必要になります。これには豊富な経験や高度な知識、腹腔鏡の緻密な操作技術が求められるのです。

□   ■

 <一方、それまで病院内にあった健診部門を1994年、倉敷成人病健診センターとして独立。病院本体もさらなる進化を遂げ、2004年には病院の中枢となるセンター棟、06年には全面ガラス張りの外観が特徴的なクリニック棟が完成した。13年には、岡山県内の民間病院として、初めて手術支援ロボット「ダビンチ」を導入。財団設立50周年となる21年には次代をにらんだ新棟が完成した>

 安藤正明 先端的な医療を提供するには、それにふさわしい施設が必要です。新棟には「ロボット先端手術センター」を設け、ダビンチを2台体制に増強しました。婦人科や泌尿器科を中心に、合併症の抑止も含め、より安全で低侵襲な治療に努めています。これまで当院になかった放射線治療装置も導入し、抗がん剤、手術と合わせて包括的ながん治療が行える施設となりました。

 そして何より地域の発展のためには安心して子供を生み育てる環境が必須です。この環境を守るため、当院の特長である年間約1300件の分娩(ぶんべん)を維持し、周産期小児医療の充実を目指していきたいと思います。(敬称略)

 あんどう・まさあき 岡山朝日高校、自治医科大学医学部卒業。岡山大学産婦人科教室などを経て1986年より倉敷成人病センター勤務。2015年より院長、19年から理事長。ロボット先端手術センター長も兼ねる。今も週に20件ほど手術に携わる。日本産科婦人科学会専門医、日本産科婦人科内視鏡学会技術認定医、日本内視鏡外科学会技術認定医、日本婦人科腫瘍学会婦人科腫瘍専門医。13年には内視鏡手術の発展に貢献した医師に贈られる日本内視鏡外科学会の「大上賞」を受賞した。

 すはら・ぎんのひょうえ 倉敷市生まれ。岡山大学医学部卒業。同大学第一外科に入局後、1968年、診療所「須原外科」を開設。71年に財団法人倉敷成人病センターを設立し、理事長に就任。83年には国内民間医療機関の海外進出第1号となる「JGHジャパングリーンクリニック」をシンガポールに開設した。93年に山陽新聞賞(社会功労)を受賞。クラシックやジャズなど音楽が好きだった。2016年9月死去。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2021年12月20日 更新)

カテゴリー

ページトップへ

ページトップへ