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悩む若者と認知症の高齢者 コロナ時代の過ごし方

鷲田健二医師

石丸信一看護師

 新型コロナウイルスが社会に広がり2年が過ぎた。深刻な感染被害をもたらしただけでなく、社会の矛盾や弱点に食い込み、その傷を大きく広げた。経済活動の停滞を招いて生活困窮者を増やし、医療体制の脆弱(ぜいじゃく)さを露呈させて社会の混乱をあおった。人と人とのつながりを希薄にして地域社会を分断。孤立を深める人は増え、とりわけ若者や高齢者が抱える不安は大きい。先の見えない中、コロナ時代をどう過ごせば良いのか。慈圭病院で青年期外来を担当する鷲田健二医師(地域連携副部長兼病棟医長)と、万成病院で認知症病棟を受け持つ看護副部長の石丸信一看護師に、臨床現場での実情や今後に向けての思いを話してもらった。

【若者】「楽しい」一緒に探す 慈圭病院青年期外来 鷲田健二医師(地域連携副部長兼病棟医長)

 現在、当院の青年期外来には、コロナ禍をきっかけに受診に至ったという患者さんがたくさんいます。さまざまな悩みや症状を抱えながらも、これまで何とか学校や職場に行けていたのに行けなくなった、あるいは彼らを何とか支えていた家族が心理的にも経済的にも追い詰められ、支えることが困難になった…というようなケースです。コロナによって、これまで隠れていた問題が顕在化した、もしくは顕在化の時期が早まった印象を抱いています。

 私たちの診察スタイルも大きく変わりました。診察は、患者さんの言葉だけでなく声の大きさやトーン、表情の変化などを総合的に診ながら進めます。しかし現在の診療場面は、患者さんとの物理的な距離は広がり、表情はマスクで隠れ、言葉が聞き取りづらく伝えづらいのです。勇気を持って相談に来たにもかかわらず、私たちが何度も聞き直していると彼らの話す意欲がそがれたりします。コロナ禍によって、彼らのわずかな兆候を十分にキャッチできていないのではと懸念しています。

 ■弱まった安心基地

 現代社会においては対人関係が希薄になり、人々の孤立の度合いが深まっています。家族と一緒に暮らし、学校や職場に行っていても、人とのつながりが薄い、あるいはつながっていない子どもや青年が増えてきているように思います。互いを支えるネットワークや地域共同体も力を弱め、核家族が増え、大人たちにも子どもや青年を支えるゆとりがない場合もあります。

 以前は親や学校の先生、友人以外に、親身になってくれたり何気なく声をかけてくれるような“斜めの関係”がありました。家でも学校でもない中間的な安心基地のような存在です。それが減っているうえにコロナ禍です。子どもたちの安心や安全は大きく揺らいでいます。

 ■温もり、手触り

 心から安心できる時間と場所は誰にとっても必要です。それらを失った時に心のバランスをどうやって保っているのかというと、バーチャルな世界がその一つかもしれません。

 青年期外来を訪れるコロナ禍の子どもたちは、大人以上に自粛を強いられ、修学旅行や部活動などたくさんの楽しみを失いました。そのような中で、ネットやゲームにのめり込んでいる子どもたちに出会いますが、彼らはどこかで現実の温(ぬく)もりや手触りも同時に求めているように感じます。

 安心・安全感というのは身体的な接触や距離感、現実の対人関係を通じて育まれていくものだと思います。これはバーチャルな世界を否定するものではありません。今後も発達していくバーチャルな世界で学ぶことも多いと思います。大切なのはそのバランスです。

 現実的な社会の中で少しずつ楽しいことや面白いと感じられるものが増えると、バーチャルな世界での滞在時間は相対的に減ってくるように思います。それは子どもや青年たちが現実社会の中に楽しみや面白さを見つけ始めたからではないでしょうか。

 実は、私たちが携わっている精神科臨床というのは、子どもや青年たちにとって楽しいもの、面白いと感じられるもの、やってみたいものを一緒に探すことなのです。何か特別な助言をしたり、事態が急に好転するような薬もありません。

 「君はどんなことに楽しみを覚えるのか」「どんなことに向いているのか」「将来どんなことをしてみたいのか」―。そういったことを子どもたちと一緒に、地道に探していくことが私たちの仕事なのです。

 ■コロナ禍の大人の役割

 昨今、不登校・自殺率・虐待件数全てにおいて増加傾向にあります。これらにコロナがどの程度影響しているのかは、もう少し時間がたってみないと分かりません。

 そのような厳しい状況の中で、私たち大人も、ささやかであっても「楽しい」を見つけ、何とか必死に生きていく、厳しいけれど、どうすればこの世の中と折り合いを付け、「つらいこともあるけれど悪いことばかりではない」し、「楽しいこともある」と思えるものにしていくのか。それを子どもたちに見てもらうことが大切なのかもしれません。私たち大人が人生に悲観していると、それを見ている子どもたちはこれからの人生に希望を見いだせなくなってしまいます。

 私たち青年期外来のスタッフは子どもや青年たちに「毎日を楽しんでほしい」と願っています。私たちと一緒に生きがいや、楽しみを見つけ、今の生活が少しでも良いものになるよう支援をしています。

 わしだ・けんじ 東海大学医学部卒業。川崎医科大学附属病院、慈圭病院に勤務。医学博士取得後、英国ロンドン大学精神医学研究所に客員研究員として留学。その後、川崎医科大学精神科学教室講師を経て、再び慈圭病院に勤務し、現在に至る。日本精神神経学会(専門医、指導医)、日本児童青年精神医学会、日本青年期精神療法学会(理事)などに所属。

【高齢者】揺らぐ地域包括ケア 万成病院看護副部長 石丸信一看護師

 年をとれば誰でも認知症になり得ます。厚生労働省は認知症患者を2020年時点で約600万人、25年には約700万人(65歳以上の5人に1人)に達すると予測しています。認知機能が低下し始めた軽度認知障害の方々を加えると、その数は1千万人を超えるでしょう。

 ■微妙なバランス

 認知症の人々にとって最も大切なのは「安心」です。認知症の中核症状である記憶障害や空間認知機能、判断力などの低下は避けられません。しかし、介護をする上で問題となる暴言や暴力、徘徊(はいかい)、抑うつと言った周辺症状は、記憶を失ったりすることによる本人の不安や混乱を周囲が理解して、慎重に対応すれば次第に収まり、平穏を取り戻していくものです。

 しかし、その平穏さは多くの場合、高齢者本人の努力、家族や介護スタッフの献身的な支援、地域の見守りなどさまざまな要素があって、微妙なバランスの上で保たれています。コロナ禍は、そのバランスを崩してしまいました。

 認知症や要介護の状態になっても高齢者が地域で自分らしく住み続けられるようにと、国は地域包括ケアシステムの構築を進めてきました。地域による生活支援と医療、介護が連携を図って高齢者の生活を支えるシステムの実現に向け、われわれも努力を重ねてきました。しかし、新型コロナはその連携を困難にしました。少し大げさに言えば、“システムの根幹”が揺らいでいるのです。

 ■大切なふれあい

 新型コロナウイルスの感染拡大以降、地域で暮らしている認知症の高齢者は外出が難しくなったし、訪ねて来る人も減り、地域とのつながりが細くなりました。見守っている家族はウイルスに感染させてはいけないと緊張し、その緊張は本人にも伝わりストレスになります。これまでは家族や地域の人々の温かな支えで抑えられていた不安や孤独感が高まり、周辺症状が表出しているのです。

 コロナ以前は、調子を崩して当院に入院するにしても、まずは外来で予約を取り、その後に入院となるのが大半でした。コロナ以後は「もう限界だ」「いますぐにでも入院をお願いしたい」と言った声が聞かれるようになりました。家族や高齢者施設も逼迫(ひっぱく)し、余裕がなくなっているのです。病院としても、その要求に十分に応えられなかった現実もありました。

 入院中の患者さんにしても外出はできず、面会制限もあって家族に会えず、気分転換もままなりません。「家族に会いたい」「いつ帰れるんじゃろうか」とたびたび口にし、不安を抱えたり混乱したりする患者さんは少なくありません。

 認知症の患者さんにとって家族とのふれ合いはとても大切です。その顔を見たり声を聞いたりすると、とても心が落ち着くようです。時には家族を見て「誰だったかな」と勘違いすることもありますが。それでもスタッフが接しているときの表情とは全然違います。

 オンラインによる面会も行いましたが、患者さんは画面を見てもあまり関心を示してくれないのです。認知症の程度にもよると思いますが、やはり生身の対面でないと気持ちとか感情は伝わりにくいんだろうなと思います。

 ■見えない出口

 退院支援も難しい状況が生じました。従来なら受け入れ先の施設のケアマネジャーや担当のスタッフが来院して、病院の職員や患者さんと直接言葉を交わして状況を細かく確認していましたが、そういったことができなくなったのです。入院治療によって患者さんの症状が落ち着き、今が次の段階に移行する良いタイミングだと思っていても、受け入れ先の準備が整わないことがありました。

 退院して施設に入った患者さんが、すぐに調子を崩して再入院したこともありました。患者さんの情報は書類によるやりとりに頼らざるを得ないので、きめ細かなニュアンスが伝わらなかったことが影響したのかもしれません。

 そうしたこともあり、状態が悪化した患者さんの入院要請があっても、なかなか病床が空かないことがあってベッドコントロールには苦労しました。

 今年に入り、第6波到来が言われるようになりました。このような状況がいつまで続くのでしょうか。出口が見えない中、一番苦しんでいるのは患者さんであり、その家族です。だから、私たちは笑顔だけは忘れないようにしたいと思います。私たちの笑顔で、患者さんたちが少しでも和んでもらえればと思っています。

 いしまる・しんいち 高校卒業後、1989年に万成病院に入職。勤務の傍ら岡山看護専門学校に学び、94年に卒業。2017年から現職。介護支援専門員、認知症キャラバンメイト。兵庫県出身。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2022年01月17日 更新)

タグ: 万成病院慈圭病院

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