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第9回「お口の健康」

高尾香名講師

向井隆雄教授

 口は多様な機能を持っている。口の中に入れた食物を、こぼすことなくかみつぶして味を確かめ、あやまたず食道、胃へと送り込む。唾液は消化を助け、口の中を洗い流してむし歯を防いでくれる。言葉を発して会話によるコミュニケーションを可能にし、表情をつくって複雑な人間関係を演出する。そうした働きを妨げるのがむし歯や歯周病、老化に伴うオーラルフレイルだ。川崎学園特別講義の第9回は「お口の健康」がテーマ。川崎医科大学歯科総合口腔医療学の向井隆雄教授と高尾香名講師に解説してもらった。

「歯の喪失」 川崎医科大学歯科総合口腔医療学 高尾香名講師

 多くの歯を失うと、さまざまなところに影響が及びます。思うように食べられず低栄養になったり、滑舌が悪くなって周囲の人々とのコミュニケーションを避けがちになったりします。その結果、心身の健康に悪影響が現れるのです。

 ■増える高齢者のむし歯

 「8020(ハチマルニイマル)運動」はご存知だと思います。1989年から当時の厚生省と日本歯科医師会が推進している「80歳になっても20本以上自分の歯を保とう」という運動です。2016年の歯科疾患実態調査では、その目標を達した人の割合は51・2%と過去最高になりました。その一方で、高齢者の残存歯数が増えたことでむし歯も増えています。

 16年の実態調査によると、抜歯の原因は歯周病が37%、むし歯が29%、破折が18%―などとなっています。破折の多くがむし歯のためなので、歯を失う原因の80%以上は歯周病かむし歯といえるのです。

 ■むし歯

 むし歯には三つの要素があります。「むし歯菌」「糖質」「歯の質」です。この三つのバランスが崩れた場合にむし歯が発生します。

 むし歯菌は塊(歯垢=しこう、プラーク)となって歯の表面にとどまり、食物の糖分を摂取・分解して酸を作って歯を溶かします(脱灰)。一方、唾液は酸に緩衝して中性に近づけることで歯を守っていますし、唾液中のカルシウムやリン酸は、脱灰された歯を修復(再石灰化)する働きがあります。しかし、糖質を取り過ぎたり、唾液による緩衝作用が間に合わないと歯の表面が脱灰された状態が続き、歯に穴が開いてむし歯になります。

 むし歯は一般に歯の溝や歯と歯の間、歯茎との境目にできることが多いです。大人の場合は、加齢などの影響で歯茎が下がって露出した歯の根っこや、治療した歯の詰め物の裏にも多くできます。

 予防は歯磨き(セルフケア、または介助下)、糖質摂取の制限、フッ化物の根面塗布(再石灰化を促進し、むし歯に対する抵抗性の強化を図る)が重要です。

 ■歯周病

 歯周病は、細菌感染による炎症性疾患で、歯を支える歯茎や骨(歯槽骨)が壊される病気です。1ミリグラムの歯垢には1億個もの細菌が含まれます。歯と歯茎の隙間(歯周ポケット)から侵入した細菌は歯肉の炎症を引き起こし、歯槽骨を溶かし、やがて歯は抜けてしまいます。

 歯垢の中の細菌は唾液中のカルシウムやリン酸と結合して歯石という固い汚れになり、歯の表面に付着します。細菌はこの歯石を足がかりにさらに歯周ポケットの奥深くに進み、繁殖するのです。

 年齢を増すごとに歯周病罹患(りかん)者は増えます。先の歯科疾患実態調査では45歳以上の過半数が歯周病でした。喫煙者は歯周病にかかりやすい傾向にあります。

 歯周病予防の基本は毎日の歯みがきや歯科医院での定期的な歯石除去です。歯周病が進行した場合は歯茎の深いところにある歯石の除去など専門的な歯の清掃に加え、かみ合わせの調整、外科手術、抜歯などが必要となることもあります。

「オーラルフレイル」 川崎医科大学歯科総合口腔医療学 向井隆雄教授

 フレイルは、健康な状態と要介護状態の中間に位置付けられます。老化に伴って身体的機能や精神・認知機能、社会とのつながりが低下した状態ですが、適切な介入によって機能を取り戻せる段階でもあります。

 ■新たな国民運動に

 オーラルフレイルは口のフレイルです。その概念は2014年、厚生労働省の老人保健健康増進等事業の中で提唱されました。口の中の「ささいな衰え」を見逃さず、口腔(こうくう)機能の低下を防ぐことが目標です。

 そのため高齢者自身はもちろんですが、介護・医療従事者にも意識改革と行動変容を促しているのです。フレイルの予防対策と協調することにより、「しっかり歩き、しっかり噛(か)んでしっかり食べる」という国民運動に引き上げることを目指しています。

 ■無関心から始まる

 オーラルフレイルには4段階あります。

 第1レベルは「口の健康リテラシーの低下」。知らず知らずのうちに自分の健康への興味が薄れる段階です。むし歯や歯周病のリスクが高まり残存歯数は減ります。気力が失われ外出がおっくうになります。身だしなみにも気を使いません。オーラルフレイルはこうしたことから始まります。

 第2レベルの「口のささいなトラブル」は、老化もあいまって、硬いものが食べづらくなる、むせたり食べこぼしをする、滑舌が悪くなった―など口腔の機能低下が進みます。「ささい」であるため自覚することなく状態は徐々に悪化し、悪循環に陥ります。オーラルフレイルを意識して早期の対策が必要です。

 ■口腔機能低下症

 第3レベルでは「口腔の機能低下」が顕在化します。口腔不潔▽口腔乾燥▽咬合力(こうごうりょく)低下▽舌口唇運動機能低下▽低舌圧▽咀嚼(そしゃく)機能低下▽嚥下(えんげ)機能低下―の七つの診断項目のうち三つ以上が認められたら口腔機能低下症と診断されます。

 口腔機能低下症は2018年に医療保険に導入されました。症状が進むとサルコペニア(加齢による筋肉量減少や筋力低下)やロコモティブシンドローム(骨や筋肉など運動器の障害による移動機能の低下)、栄養障害に陥り、全身の健康や生命予後にも悪影響を及ぼします。

 第4レベルは「食べる機能の障害」で、摂食嚥下機能低下や咀嚼機能不全から、要介護状態、運動・栄養障害に至る段階となります。ここまで行くと社会生活は難しくなるので、第1、2レベル、遅くとも第3レベルで食い止めなければなりません。

 口腔機能の衰えは、高齢になって突然始まるものではありません。人によっては40~50代からその兆候は出てきています。

 オーラルフレイルの入り口である第1レベルに至らないようにするためには「かかりつけ歯科医」を持ち、歯と口腔のメンテナンスを習慣化することが重要です。気軽に通える「私の歯医者さん」をつくってください。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2022年02月21日 更新)

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