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(9)「誰か故郷を想はざる」 「生きていく望み」に心震え

村の納涼祭でピアノの弾き語りをする筆者。「誰か故郷を想はざる」「お富さん」など4曲を披露した

国道沿いに咲く向日葵

 暑い季節がやってきました。新庄村内科診療所は標高480メートルくらいのところにあります。所用で県南に降りると次第に蒸し暑くなるのが体感されます。診療所から国道に出る交差点には花壇があって、向日葵(ひまわり)が太陽を見つめ、強い日差しを跳ね返しています。

 県内の自治体では唯一、新型コロナウイルス感染の陽性者が無かった村でも春先から患者が報告されるようになりました。発熱者には診療所の裏手で、抗原定性検査を実施して対応する日々が続いています。

 思い返せば昨夏は、7月初旬からコロナ感染症第5波が始まり、五輪開催の問題、ワクチン接種、さらにはデルタ株への不安感が強まっていきました。

 その頃、村の社会福祉協議会(社協)では長期化するコロナ禍で、利用者の方々の閉塞感や圧迫感などがぬぐい切れないとのこと。職員の方々が工夫をされて、規模・時間を縮小して納涼祭が行われました。

 保育園児たちの合唱、社協職員による舞踏、高齢の方に親近感が強い昭和の東京五輪・三波春夫さんの音頭の映像の鑑賞などの企画でした。

 不肖、大槻もピアノの弾き語り。「誰か故郷を想はざる」「お富さん」など4曲を披露しました(後日、村のケーブルTVでも放映されました)。

 翌週、デイサービスをたびたび利用されているKさんが受診されました。慢性心不全や高血圧で投薬中の方です。11月には満百歳を迎えられる女性、村内で独居生活です。

 診察室に入られて、最初に「私には生きる希望が生まれました。納涼祭での『誰か故郷を想はざる』を聴いて。大好きな歌だったのです」とおっしゃいました。涙を浮かべられています。大切な思い出があったのでしょう。百歳を迎える方が「生きていく望み」を言葉にされた事実に、こちらの心が打ち震えました。

 実は私、大学2年の春、5年近くも実家のひと間で寝たきりだった祖母が逝去しました。介護保険もない時代、腰椎圧迫骨折だったでしょうか。でも入院もせず、内科医であった父なりの、身近に居らせたいという思惑だったのかも。長く介護をした母の苦労も偲(しの)ばれます。帰省した際には祖母の願いで幾度も幾度もこの曲をギターで弾き語りしました。1940(昭和15)年発売の楽曲、祖母の件がなければ、村で歌うこともなかったでしょう。

 そういった巡り合わせから、聴いてくださった方の気持ちに前向きな灯(あか)りをともすことができたのだとしたら。当然Kさんも私の白衣姿を透かし見ながら曲を聴かれたのでしょう。こちらこそ感謝に溢(あふ)れて胸が詰まってしまいました。

 Kさんが次に外来に来られた時には、顔の腫瘍を取ってほしいとのこと。そこから始まる顛末(てんまつ)。次回はKさんの医療への強い想いなどを紹介します。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2022年07月04日 更新)

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