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(29)肺がん・中皮腫の手術 岡山ろうさい病院 西英行・胸部外科部長

西英行・胸部外科部長

 ―肺がんの手術実績は。

 西 肺がん手術は年間50~60例、トータルでは千例ほどです。本格的に携わるようになったのは、当院に赴任した1996年からですが、最初から肺がんに特化して手術をしてきたわけではありません。当時は腹腔(ふくくう)鏡や胸腔鏡が導入され始めた時期で、岡山大第二外科の恩師である清水信義先生(岡山大病院長、岡山ろうさい病院長など歴任)から「オールマイティーになれ」と言われ、腹腔鏡下で胆のうや胃や結腸のがんの手術もしてきました。

 ―肺がんは根治が難しいがんの一つですが、手術で治りやすいのはどういうがんですか。

 西 非喫煙者にも多く近年増えている腺がんは肺の端(末梢=まっしょう)にできやすいので手術しやすい。腫瘍の大きさが2センチ未満で、転移していない腺がんが最も手術に適しています。ただ、転移しやすいという性質があり、リンパ節切除には技量が求められます。

 ―どういう技量が必要ですか。

 西 転移の可能性があるリンパ節を血管・気管からきれいにはがすため、血管ぎりぎりまで電気メスを入れることができるかどうかが勝負です。肺の動脈・静脈は薄くてもろく、心臓にも近いため、ちょっとしたミスが大出血につながり、患者さんの命に関わります。それを恐れて電気メスを入れるのが不十分なら、リンパ節切除が不十分で再発のリスクを残してしまいます。さらには、患者に手術に耐えられる体力があるかどうかを判断し、最適の手術計画を立てる能力も必要です。

 ―術式もいろいろあるそうですね。

 西 自分が最も手掛けているのは、胸腔鏡補助下開胸術です。肋骨(ろっこつ)の間を6~8センチほど切開し、その下の肋間に小さい穴を開けてカメラを入れ、重要なところは術者が肺を直接見て、肉眼で見えにくいところはカメラが映すモニターを見ながら手術をします。切開をしない完全胸腔鏡下手術は根治が最も期待できる初期の腺がんに対して行います。もう一つ、背中から脇にかけて30~40センチ切開する従来の開胸術がありますが、これは肺と一緒に肋骨や胸膜などを切除しなくてはいけない進行がんや中皮腫など、難易度の高い手術に限って行います。

 ―その中皮腫ですが、おかやま労災病院は、全国有数の治療実績がありますね。

 西 2005年、クボタの工場で元労働者や周辺住民に大規模な健康被害が出ていたことが明るみになり大問題となりましたが、それ以前から当院の岸本卓巳副院長が中皮腫を引き起こすアスベストの危険性をずっと訴えていました。その先見性が評価され、わが国の研究・治療の中心を担うようになったのです。

 ―患者はどのくらいいますか。

 西 新患は全国で年間1200人ほど、岡山県では推計で20人ほど。その半数は当院を受診されます。新患とほぼ同数が1年間に死亡しています。潜伏期間が長く、まだ発症していない人が多いとみられ、新患は10年後には5千人に達するとも言われています。

 ―中皮腫の診療実績は。

 西 私個人は計170人ほどを診てきました。うち、手術ができたのは50人。21人は再発して亡くなりましたが、29人は早期に発見できたため、再発していません。世界的に中皮腫手術をした人の術後の生存期間は平均20カ月ほどですが、当院は約30カ月です。中には10年近くお元気な方もいます。それは早期に的確に中皮腫を診断できているからです。

 ―中皮腫の診断は難しいのでしょうか。

 西 やっかいなことに中皮腫の細胞は一見すると悪性に見えません。当院はリーダーシップを取って中皮腫の症例を全国から集め、良性か悪性かを診断する能力を臨床医と病理医が磨いてきた経緯があります。だからこそ、早期発見ができ、患者の生存期間の延長につながっています。

 ―中皮腫は肺を全摘しなければいけないのでしょうか。

 西 体に負担を掛けないよう、できるだけ切除を少なくすることを心掛けています。ただ、胸膜肺全摘術、肺の一部を残す胸膜剥皮術とも一長一短があります。全摘術は剥皮術より局所再発しにくいが、再発すると、次の治療に移行するだけの体力が残っておらず緩和療法に切り替えざるを得ません。剥皮術は局所再発しやすいが、再発しても抗がん剤や放射線治療を行うことができます。トータルで考えると、進行した症例では生存期間に差はないようです。

 ―明るい展望はないのでしょうか。

 西 近年、新しい抗がん剤や分子標的薬が登場し、生存期間を2カ月ほど延ばすことができるようになりました。さらに良い薬ができるまで、患者さんに手術をして一日でも長く生きてほしいと願っています。そのためにも自分自身、もっと手術の腕を磨いていかねばなりません。

     ◇

 岡山ろうさい病院(岡山市南区築港緑町1の10の25、086―262―0131)

 にし・ひでゆき 大阪府立三国丘高、岡山大医学部卒。同大第二外科に入局後、広島市民病院を経て、1996年、岡山労災病院(現岡山ろうさい病院)に赴任。2012年から胸部外科部長。救急部長、アスベスト疾患ブロックセンター副センター長を併任する。日本外科学会指導医・専門医、日本呼吸器外科専門医・評議員、日本消化器外科学会認定医、がん治療認定医。医学博士。54歳。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2016年07月18日 更新)

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