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(5)医療ソーシャルワーカー 川崎医療福祉大学医療福祉学科長・教授 熊谷忠和

岡山旭東病院に勤務する5期生の片岡志麻さん。医療ソーシャルワーカーとして、患者の抱える悩みに耳を傾け、問題解決に向けさまざまな調整、支援を行っている

熊谷忠和医療福祉学科長・教授

 川崎医療福祉大学は医療と福祉の融合を掲げ、1991年に開学しました。医療福祉学科はその理念を具体化させるため開学と同時に設置され、専門職である医療ソーシャルワーカー(MSW)養成に重点を置いてきました。当学科は第一期生以降、全国の医療機関等に約5千人の卒業生を送り出しています。

 厚生労働省が示した「業務指針」によると、MSWは「病院等の保健医療の場において、社会福祉の立場から患者のかかえる経済的、心理的・社会的問題の解決、調整を援助し、社会復帰の促進を図る」職種とされます。

 その仕事は大きく二つあります。一つはより良い医療、治療を進めるため、患者さんの経済的、心理的、社会的な情報を医師・医療スタッフに提供したり、環境・条件整備をすることです。もう一つは「つなぐ」仕事です。一人の患者さんには医師や看護師、理学療法士、臨床心理士、さらに地域の開業医や介護支援専門員、ホームヘルパー、家族らが関わります。MSWはその中の“潤滑油”として、患者さんが人としてより良い生活を送れるよう多職種を「つなぐ」役割を担います。

 この「つなぐ」という側面は、1905年に米国で初めてMSWを導入し、その“生みの親”ともいわれるリチャード・キャボット医師が最も期待した役割です。「業務指針」には「患者のニーズに合致したサービスが地域において提供されるよう、関係機関、関係職種等と連携」し、地域の保健、医療、福祉のシステムづくりにさまざまな形で参画する―とあります。

 一つの事例を紹介します。Aさん(83歳、女性)は、夫と5年前に死別しました。その後一人暮らしとなりました。悲しみに暮れた日もありましたが、徐々に趣味の書道を生きがいに充実した生活を送れるようになりました。しかし81歳の時に検診で腎臓がんが発見され、いったんはがんの摘出術で完治したと思われましたが、その1年後、肺などへの転移が見つかりました。抗がん剤の対処もありましたが病状は悪化し、入退院を繰り返しました。

 Aさんは自ら医師からの告知を望み、自宅での緩和ケアを希望しました。MSWのBさんは主治医から連絡を受け、Aさんとの関わりを開始しました。まず、Aさんと息子夫婦、それぞれの不安な気持ちを傾聴し、問題の要因と背景を探るソーシャルワーク・アセスメントをしました。そして主治医や看護師、薬剤師など多職種によるケース・カンファレンスを提案し、Aさんの今後について検討しました。

 その結果、ターミナルな時間を住み慣れた家で過ごしたいとするAさんの希望を実現していくため、開業医を中心に組織する地域のがん支援ネットワークや介護保険サービス(訪問看護サービス、入浴サービス、電動ベッドなどの福祉用具サービスなど)に「つなぎ」ました。そしてBさんは、Aさんの退院日が近づいたある日、Aさんとその家族、主治医、開業医、介護支援専門員、訪問看護師などが一堂に会する地域ケア会議を呼びかけ、Aさんの希望が確実に実現するよう、地域の受け皿づくりへの最終的な橋渡しをしました。

 超高齢社会の到来をにらみ、住み慣れた地域で自分らしい暮らしを人生の最後まで続けることができるよう支援する「地域包括ケアシステム」の構築が進む中、MSWの業務は増大し、ニーズが高まっています。

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 川崎医療福祉大学(086―462―1111)

 くまがい・ただかず 日本福祉大学社会福祉学部卒業後、滋賀県・高島市民病院に勤務。龍谷大学大学院社会学研究科博士後期課程単位取得退学。九州保健福祉大学専任講師、川崎医療福祉大学准教授を経て2013年より現職。日本医療社会事業協会(現在の日本医療社会福祉協会)常任理事、副会長など歴任。倉敷市社会福祉審議会会長、英国ボーンマス大学客員研究員。滋賀県出身。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2017年03月20日 更新)

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