(1)長雨が終わって 患者さんとのふれあい届ける

新庄村国民健康保険内科診療所の待合ロビー、奥が診察室

大槻剛巳氏

 長雨が終わって、再び残暑に包まれて、でも、このエピソードの後には夕立ちが走った日でした。

 午後最初の患者さんは、私自身は初めて診る高齢の女性でした。私より少々お若いくらい(?)の娘さんが一緒です。

 「さっき、転んでけがをしたんです。普段、トイレにも1人では行けないのに、時々、ふと思い立ったように自分で歩いて行って。左腕の肘の上の方、そうそう裏側っていうか」

 ということで、数枚貼ってある絆創膏(ばんそうこう)を剥がそうとすると、娘さん、「1か所、結構深いところがあります」。

 家具か何かの角に当たったのか、ざっくり4センチくらいの切創になっていて、ただ、脂肪で比較的ぷよぷよとした辺りなのと(太ってはいらっしゃらないけど)、絆創膏での圧迫が効いていたのか、出血はほぼ止まっていました。

 娘さんいわく「この人、昔から注射とか大嫌いで。どうしましょうか?」。でも、さすがに縫わないと止血とその後の修復を考えてもいけないなぁということで、「ごめんなさい、少し痛いよ」って局所麻酔。その時だけ「あっ」とか「うっ」っていう声もしましたが、その後4針ほど縫合する間はお行儀よく、静かにしてくださっていました。

 無事に傷の処置も終え、少し投薬をして「また明日、様子を診させてもらえますか?」と。普段なら毎日あるいは2日ごとにガーゼ交換などをするのですが、お母さんはショートステイの予定もあるとのことで、まぁその辺りは翌日決めましょうと致しました。そして、少々待ち時間の長くなった次の患者さんを診察室に招き入れました。

 ここは「新庄村国民健康保険内科診療所」。私は4月に赴任した所長です。医師は私1人。「内科」とはありますが、こんな処置だってするのです。村の人々の健康維持が私の役目。夜間の急患も対応します。必要な場合は症状に応じた病院にすぐに紹介。その見極めは大切です。

 私はもう何十年も前に川崎医科大学を卒業して、そのまま大学の血液内科に所属。診療と共に、大学院や留学を通じて多発性骨髄腫や悪性リンパ腫の細胞生物学の研究をしていました。

 留学から母校へ戻る時には衛生学に転身。主に実験系を中心に環境予防医学としてアスベストや珪酸(けいさん)の免疫影響や健康増進住宅の研究、大学での医学教育に携わっていました。

 診療所暮らしも半年が過ぎました。その時々の患者さんや土地とのふれあい日誌をお届けします。お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。



 新庄村 岡山県の西北端、鳥取県境に位置。人口888人、394世帯。高齢化率は42%(いずれも8月31日現在)。明治の村制施行以来一度も合併を経験していない自主独立の村。江戸時代は出雲街道の宿場街として栄えた。旧出雲街道沿いのがいせん桜や、ブナの原生林が広がる毛無山が有名。旭川の源流域でもある。

 おおつき・たけみ 川崎医科大学医学部卒業、同大学大学院修了。川崎医科大学付属病院血液内科から米ミネソタ大学血液内科、米国立衛生研究所(NIH)に留学。1996年に川崎医科大学衛生学教室に戻り、講師、助教授を経て2003年に教授。21年に大学を辞し、4月から新庄村国民健康保険内科診療所所長。読書や音楽が趣味。作詞作曲を手掛け、アルバムもリリースしている“歌う医学者”。

(2021年09月20日 更新)

※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

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