出産立ち会い2万5000件超 倉敷成人病センター周産期センター 山﨑史行センター長「元気な泣き声生きがい」

診察室で、妊婦らの話をしっかりと聴く山﨑史行医師。そのまなざしは優しい

生まれたばかりの赤ちゃんを抱き上げ、笑顔を見せる山﨑史行医師=2018年9月(倉敷成人病センター提供)

 年間1300~1400人の赤ちゃんが誕生する倉敷成人病センター(倉敷市白楽町)で、40年間勤務している山﨑史行医師(71)=周産期センター長=は、これまで2万5千件を超える出産に立ち会った。母娘2代にわたって取り上げたケースも多数に上る。長く多忙な産科医生活を支えたのは「生まれたばかりの赤ちゃんの元気な泣き声」だという。

 岡山大学医学部での学生時代、当初は外科を志望していた。ある日、帝王切開の手術を見学。取り上げられた赤ちゃんが「オギャー」と産声を上げた。元気な子でよかったと思っていたら、もう1人いた。双子が「オギャー」と泣いたら「何だか分からないが、ものすごく感動した」。それで産科を選んだ。

 倉敷成人病センターに就職したのは1983年で32歳の時。口数は少なくぶっきらぼうだったという。けれど周囲の助言を素直に受け止め、「一生懸命話をしよう」と丁寧な説明を心掛けた。

 「話は今でもじょうずな方ではないが、真摯(しんし)な気持ちが伝わって、信頼を寄せる妊婦さんは多い」と、長くコンビを組んでいる高橋澄子助産師=周産期センター副センター長=は言う。その人柄を人づてに聞き、山﨑医師を希望する妊婦は次第に増えた。

 倉敷成人病センターは倉敷市の中核的な分娩(ぶんべん)施設となっている。2021年度の分娩数は1385件で、その7割を占める979件が市内在住者の出産だった。同年度の市内の出生数は約3800人。市民のおよそ4人に1人が同病院で生まれている計算だ。

 山﨑医師は年間500~900件もの出産に立ち会っている。だからいろんなトラブルにも遭遇した。分娩後に出血が止まらなくなった母親が、生死をさまよったときには意識が回復するまで約1カ月、病院に泊まり込んだ。

 おなかの中で赤ちゃんが亡くなったこともあった。「私にできることは謝罪し、説明し、誠心誠意対応することだけだった」。最初の子どもを亡くした母親が2人目の妊娠でも山﨑医師を選び、「お願いします」と言ったときには手を合わせ、「ありがとうございます」と頭を下げた。つらい経験もあっただけに、元気な産声を聞くと安心とうれしさがこみ上げる。

 近年、外来などで、どこかで会ったような気がする付き添いのお母さんが増えた。「その節はお世話になりました」とあいさつをされ、話を聞くと、山﨑医師が取り上げた娘が成長し、妊娠・出産の時期を迎えたのだという。

 周りからは「ここまで来たら3世代目の出産立ち会いか、トータル3万件を目指そう」との声も聞かれる。本人は「あと数年は現役で頑張れると思うが、3世代や3万件はどうでしょうか」と笑う。

 やまさき・ふみゆき 岡山大学医学部卒業。三菱水島病院、岡山大学医学部付属病院、高知県立安芸病院などを経て1983年から倉敷成人病センター勤務。趣味は料理で、家庭ではイタリア料理に腕を振るっている。

(2023年04月20日 更新)

※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

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