(1)ここまで進んだ白内障手術~温故知新~ 川崎医大川崎病院眼科医長 宮田学

みやた・まなぶ 広島・修道高、岡山大医学部卒。同大学院医歯学総合研究科修了。医学博士。姫路赤十字病院、岡山大病院各眼科を経て2014年から現職。日本眼科学会専門医・指導医、眼科光線力学療法(PDT)認定医。川崎医科大眼科学2 講師

 「白内障」とは、眼球内のレンズ状の組織である水晶体が濁る病気で、代表的な症状は見づらい、まぶしいといったものです。解剖学的に、水晶体はふくろのような嚢(のう)で囲まれており、その中に上皮細胞が存在します。上皮細胞は生涯にわたり分裂を繰り返し、水晶体線維を産生します。ふくろの中にどんどん垢(あか)がたまっていくようなもので、これが主な成因と考えられています。つまり、生きている限り徐々に進行し、まず良くなることはないということです。実際に、70歳以上ではほとんどの方が罹患(りかん)していると言われています。

 白内障に対する治療法は、大きく分けて2通りあります。一つは点眼薬で進行を遅らせるというもの、もう一つは手術で治すというものです。前者に関しては、昔から使用されているもので、安全ですが、軽快するわけではありません。主に、軽症の白内障でまだ手術を希望されない方に行う治療法です。後者は、水晶体の濁りを取り除くという根本的な治療法です。

 では、いつから白内障手術は始まったのでしょうか。諸説ありますが、文献として残っているもので、紀元前600~1000年頃のススルタ大医典(インド)というものがあります。当時は墜下(ついか)法といって、眼に針を刺して、水晶体を眼の奥の方へ落とすという方法で行われていました。その後、エジプト・ギリシア・ローマでも同じ方法で行われていました。

 18世紀に入ってJacques・Davielが初めて計画的に水晶体を眼の外へ摘出しました。しかし、麻酔薬もなく、消毒法も確立されていませんでしたので、手術中の痛みも激しく、合併症も多発していました。さらに19世紀には、コカインの点眼による麻酔や昇汞水(しょうこうすい)による消毒が報告され、劇的に白内障手術が広がっていきました。20世紀にはLittmannが手術用の顕微鏡を開発し、現在のマイクロサージェリーによる白内障手術が普及するようになりました。

 白内障手術の方法や道具は日進月歩で進化しています。より安全で負担が少ない手術となりました。現在では切開創が2ミリ程度にまで小さくなり、眼内レンズ(水晶体の代わりに光を屈折させる)も非球面で着色のレンズが一般的となりました。非球面レンズとは、高価な眼鏡のレンズにも使用されているもので、瞳孔が広がっても視力が落ちにくいため以前より夜間の運転がしやすくなりました。

 着色レンズとは、文字通り少し黄色い色がついたレンズです。とはいえ、色の見え方は若い頃と同じです。最近、眼底の網膜に障害を起こす可能性があると話題になっている青色光を着色眼内レンズで緩和して、眼底に届きにくくなるように設計されています。この青色光は、青色LED(発光ダイオード)の波長とほぼ重なっていますので、バックライトがLEDのパソコンやテレビを長時間見る機会が増えた現代にマッチした付加価値と言えます。

 また、トーリック眼内レンズという乱視矯正用の眼内レンズも使えるようになりました。以上が単焦点レンズで、保険がきくものになります。さらに、高度先進医療(認定施設のみ)ではありますが、遠近両用の多焦点眼内レンズも使用可能となりました。これにより、メガネなしで遠方も近方もある程度見えるようになりました。しかし、光の量が遠方用と近方用に分散されるために、それぞれの距離における見え方は単焦点より劣ります。費用も高い(両眼で約80万円)ですから、メリットとデメリットを近くの眼科でよく相談し、十分納得した上で手術を受けられることをお勧めします。

 このように、それぞれの時代の偉人たちの知恵が凝集した現在の高度な白内障手術をわれわれは享受できるようになりました。さらに、人工多能性幹細胞(iPS細胞)などの再生医療が白内障治療に応用される日がくることを期待しています。

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川崎医大川崎病院((電)086―225―2111)

(2015年01月19日 更新)

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