ルビーの指輪 川崎医科大泌尿器科学教授 永井敦 

 あのルビーの指輪は今でも旭川の川底にあるのでしょうか。大学6年の時です。同級生のA君はバイト代をためて、恋人のBさんにルビーの指輪をプレゼントしました。しかし、Bさんが一足先に社会人になり、A君自身も多忙だったため、だんだん気持ちのすれ違いが起きるようになりました。

 結局、別れることになり、Bさんは指輪を彼に返し、2人で最後に歩いた桜橋から旭川に向かって投げ捨てたのです。2人が桜橋の上でたたずみ、無言で指輪を投げる光景が目に浮かぶようです。

 「くもり硝子(ガラス)の向こうは…」。皆さんは、このフレーズが頭に浮かぶことでしょう。まさに「ルビーの指環(ゆびわ)」がヒットした1981年の出来事です。当時、田中康夫の「なんとなく、クリスタル」がベストセラーになり、ブームとなったのがクリスタル族。バブル突入前夜という雰囲気の時代であり、われわれはあの歌とともに生きていたと言ってもよいでしょう。

 A君たちは結構長く付き合っていたように記憶しています。あれだけ仲がよかったのに、あっけないものだなと感じた瞬間です。男女の仲について、いろいろ実践的に分かるようになった大学時代でした。

 後日、指輪の件を付き合っていた彼女に話しました。「えーっ! もったいない。私だったら返さない」の一言でした。歌では、別れた後も思いを引きずります。2年後にベージュのコートの女性を見かけると、ルビーのリングをしていないかどうか見てしまいます。さてA君はどうだったのでしょうか。

 ちなみに、「私だったら返さない」とのたまった彼女が、カミさんです。結婚して31年。衝突も多々ありましたが、初月給でプレゼントしたネックレスは、まだ捨てられていないようです。

(2015年09月15日 更新)

※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

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