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4 暗澹たり 回復不能の「肝硬変」

硬膜外膿瘍の緊急手術、肝硬変での緊急入院とたびたびお世話になった岡山労災病院。労働災害患者への対応を理念に救急患者を積極的に受け入れている

 高熱とともに背中がじんじんとうずき、 阿鼻 ( あび ) 叫喚を呈する「硬膜外 膿瘍 ( のうよう ) 」の陰で、慎ましやかな肝臓は人知れず、悲鳴を上げていたのかもしれない。

 背中の手術から一年後の二〇〇七年八月、腹水でパンパンに膨らんだおなかを抱えて再び、岡山労災病院(岡山市南区築港緑町)へ駆け込んだ。二週間くらいで退院できるだろう、と楽観視していた私に突きつけられた現実は、「肝硬変」の診断だった。

 70%まで切除しても再生するほど丈夫な肝臓が激しく痛めつけられ、もう元に戻ることができません―。それが「肝硬変」の宣告だ。前途 暗澹 ( あんたん ) たり。行く末は食道静脈 瘤 ( りゅう ) の破裂か、肝性脳症か、はたまた肝細胞がんか。ニルヴァーナ( 涅槃 ( ねはん ) )は近い。カート・コバーンの 咆哮 ( ほうこう ) が耳に鳴り響いてきた。

 三カ月ほどで体重が二〇キロも増加したのだから、およそ二十リットルも水がたまっている。二リットルペットボトル十本がおなかに入っていると思うと、ぞっとする。足もむくみ、下半身全体がちゃぷちゃぷと水音を立てそうな状態だが、大半は腹水に違いない。

 おなかを輪切りにしたCT(コンピューター断層撮影)画像を見ても、白っぽく造影された肝臓を押しやるようにして、やや濃いグレーに写る腹水が断面の大半を占領し、あふれかえっている。

 私の主治医になった谷岡洋亮医師(内科副部長)は減塩食と利尿剤を処方した。腹水の原因となっている肝硬変が治療できればよいのだが、望みは極めて薄い。尿を増やして水分を流し出してしまおう、という対症療法にならざるを得ない。

 利尿剤も結局は塩分(塩化ナトリウム)の再吸収を抑制し、尿を増やすのが薬効だ。生命は塩に満ちた海から生まれた。食塩は体の水分調節システムの中に不可分に組み込まれている。

 腕の留置針からループ利尿薬という種類のラシックス(一般名フロセミド)を注射。十分後にはむずむずとおしっこが弾み始める。それから十五分おきに五、六回はトイレに通う。ベッドが温まる暇もないほど忙しい。

 抗アルドステロン利尿薬という種類の錠剤アルダクトン(同スピロノラクトン)も服用した。ラシックスは移植後も断続的に処方され、つい最近まで長いお付き合いをする羽目になってしまった。

 「疲れるような運動は避け、なるべく安静にしましょう」。もとより上を向いても横を向いても苦しいカエル腹。谷岡医師の指示通り、トイレに往復する以外は魚河岸のマグロのように、ベッドに転がっているばかり。

 それでも利尿剤のおかげで毎日〇・五キロずつ体重が減り始め、一息つけるかと思ったのだが…。


メモ


 ニルヴァーナ 1990年代初頭、米シアトルを震源地に巻き起こったロックムーブメントのグランジ(「薄汚いもの」の意味)を代表する伝説的なバンド。94年にショットガンで自殺したカート・コバーンの歌声に強烈な虚無感を覚えるのは私だけではないだろう。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2009年05月04日 更新)

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