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第1部 さまよう患者 (4) 代償 「夢の治療」で乳房失う

「あの時、誰かに相談していれば」。保管している説明書をみるたび、村上さんは悔やむ=岡山市

 説明書や領収書は今も保管してある。自らの「戒め」のために。

 「今から考えればありえない治療法。でも、あの時は誰にも相談できず、突き進むしかなかった」。村上英子さん(55)=仮名、岡山市=が悔いをにじませる。過ちは夫にも打ち明けていない。

 その粉末を練って皮膚に塗ると、がんが 膿 ( うみ ) となり毛穴から出てくる。「夢のような治療法」―。知人から聞いたのは、9年前の夏だった。

 左胸にしこりを感じ、病院で乳がんの疑いを指摘されていた。粉末は1カ月が約3万円。高価だったが、東京の販売会社に連絡し毎月のように購入した。

 胸の皮膚は次第にただれた。ケロイド状になっても「がんが出てきている」と喜んだ。

 3年がすぎ、胸に激痛が走った。皮膚科に行くと、思いも寄らぬ診断だった。左乳房の半分以上に広がったただれは「 壊死 ( えし ) 」だったのだ。

 直後に東京の警察から電話があり、会社が薬事法違反容疑で摘発されたと聞いた。「私の3年間を返して」。涙が止まらなかった。

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 つまずきの始まりは医療への不信。医師の何げない言葉に傷ついたことだった。

 乳がんを指摘された病院では、組織を採取して調べる細胞診を受けた。まだ結果も出ない段階から、医師は「がんです。手術しましょう」と強く勧めた。

 「十分な説明もなく、かけがえのない乳房を切ろうとは…」。返事をせずにいると、さらにこう言われた。「切っても服を着れば見えないんだから」。以来、病院に行かず、3カ月後に出合ったのが「夢の治療」だった。

 会社摘発後、あらためて岡山大病院(同市北区鹿田町)を受診した。がんは左乳房全体に広がっていた。

 抗がん剤治療と手術を受け、経過は順調だ。だが、治療の遅れが影響し、乳房は残せなかった。「代償はあまりに大きい」。つくづく思う。

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 村上さんは昨年4月、岡山大病院の乳がん治療・再建センターのピアサポーターになった。ピアは仲間・対等者の意味。同じ乳がん経験者4人とともに、患者に経験を話したり元気な姿を見てもらうことで、不安を除き、前向きな気持ちを引き出す役割だ。

 女性のがんで最も多い乳がん。治療法の選択や費用、仕事、家族、将来など患者の不安は尽きない。手術後の美容面への戸惑いもある。

 「本来なら医師が話を聞いて受け止めればいいが、時間的な制約もあり難しい」と土井原博義センター長。「患者同士なら家族にも話せないことも話せ、動揺を止められるのではないか」とピアサポーターを設けた動機を話す。

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 村上さんは昨年秋、治療に不安を感じている手術前の患者の相談を引き受けた。

 「私も悩んだ。でも、大丈夫。『がんイコール死』じゃありませんよ」。アドバイスに、患者はすっきりした表情で席を立った。

 これまでにピアサポーターを利用したのは3人。活動は始まったばかりだが、いずれも相談後に感想を聞くと「精神的に楽になった」などと答えた。

 「不安は誰にもある。聞いてあげる人が必要なんです」。一人で悩み続けた村上さんがサポーターを引き受けた理由でもある。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2010年02月03日 更新)

タグ: がん女性岡山大学病院

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