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第2部 「いのち」と向き合う (5) 脱みとりの場 帰宅の不安 どう除くか

入院患者に様子を尋ねる蓮尾医師。「患者が望むなら家で過ごさせてあげたい」と願う=岡山済生会総合病院

 「早めに一度、家に帰って過ごした方がいいんだが…」

 昨年11月中旬、岡山済生会総合病院(岡山市北区伊福町)の緩和ケア病棟。蓮尾英明医師(32)が入院している男性患者(80)=岡山市=にどう帰宅を勧めるか考えを巡らせていた。

 男性は「年を越せるかどうか」という厳しい状態。農業を営み、地域の「顔役」だった。高齢の妻と2人暮らし。「帰ったら、やることが山ほどある」と話していた。痛みは少なく、身の回りのことも自分でできる。今なら何とか自宅に帰れそうだった。

 だが、がんが腸を圧迫し、吐き気が強い。口にできるのは、果物や菓子を1、2切れとジュースくらい。「食べられるようになって帰りたい」と帰宅への不安も口にした。

 「このままではタイミングを逃すかもしれない」。蓮尾医師は思案に暮れた。

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 「かつては、一度入院したらそのまま亡くなる患者が多かった」。1998年の開設時から緩和ケア病棟を担当する石原辰彦主任医長(46)は振り返る。

 同病棟は2003年に入退院基準を変更。症状が改善したら家に帰ってもらうようにした。退院を意識して家族の状況も把握。介護保険の在宅ケアサービスを勧め、一時帰宅する患者の増加につながった。

 「住み慣れた場所で貴重な時間を過ごさせてあげたい」との思いは、「みとりの場」とのイメージが強い緩和ケア病棟に対する患者、家族の先入観、抵抗感を和らげる狙いもある。

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 「ここは(治療法がなくなって)絶望して来るところではない。痛みなどの症状が改善すれば、もう一度、治療に専念したり、自宅療養ができることを知ってほしい」と石原主任医長。

 蓮尾医師も同じ思いだ。曾祖父母や祖父母はみな家で最期を迎えた。暮らしの中の自然な死、家族との別れを見ていただけに、高校時代にボランティアで行った「ホスピス」の現状に違和感を覚えた経験がある。

 「とうとう来てしまった」「家族に迷惑をかけるから入院した」と悲嘆にくれる患者たち。「理想のケアというより、死を無理に受け入れさせられているようだった」

 医師になって、さまざまな事情を抱えた患者と接するうち、「必ずしも家が理想ではないが、患者が望むなら、帰宅をかなえたい」との思いが一層強くなった。

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 考え抜いた末、一時帰宅を 躊躇 ( ちゅうちょ ) する男性に、蓮尾医師は厳しい見通しには触れないで重ねて勧めた。「病院より家の方ができることは多いですよ。ここにはいつでも戻れる」

 岡山県外に住む息子が帰省する日まで待ち、12月中旬、男性は3日間だけ家で過ごした。ただ、病状は既に進行しており、病棟へ戻った2日後に亡くなった。

 「後悔している様子はなかったし、良かったとは思う。でも、もっと早く帰れていたら…」と蓮尾医師。

 今や日本人の8割以上が病院で最期を迎える。「病院死」が当たり前の中で、がんを患いながら家で過ごす不安をどう取り除くのか。模索は続く。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2010年03月01日 更新)

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