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第2部 「いのち」と向き合う (8) 揺れ 寄り添う大切さ気づく

自宅で夫、父をみとった岡〓さん一家。仏壇の前で思い出を語り合う

 一人が正面から抱きかかえ、もう一人が点滴の袋を持つ。引きずるようにして夜、トイレへ。疲れから、待つ間にドアにもたれて寝たこともある。

 岡山市南区福田、岡〓 浄恵 ( きよえ ) さん(56)は3人の子どもの力を借り、夫の勲さん=当時(58)=の看護を続けた。昨年6月5日、岡山大病院(同市北区鹿田町)での胃がんの抗がん剤治療をやめ、自宅へ戻っていた。

 “総力戦”を始めて2週間。「もうええじゃろ」。勲さんが力なくつぶやいた。日に日に衰弱し、痛みも増していた。呼吸は苦しそうで、見ている方もつらかった。

 「セデーション(鎮静)頼もうか」。薬で眠らせれば苦痛は除去できる。しかし、事実上の「別れ」になる。夜、家族で話し合い、次の往診で医師に依頼することに決めた。

 だが翌朝―。浄恵さんは朝日にまばゆそうに目を開ける夫を見て、子どもたちに「できない」と告げた。

  ~

 「夫は苦しみながら、懸命に生きる姿を家族に見せていたと思う」。浄恵さんは鎮静をやめた理由を話す。一方、「お父さんを楽にしてあげないとかわいそう」と思った長女の愛さん(31)は動揺し、部屋にこもってしまった。

 そんな家族の間に入ったのは、訪問看護師の黒川 純世 ( すみよ ) さん(47)だった。愛さんに「あなたは苦しむ姿を見たくないだろうけど、お父さんはどうかな」と投げかけた。

 翌日、往診したかとう内科並木通り診療所(同市南区並木町)の加藤恒夫院長(62)も子どもたち一人一人にこう話した。「みんなには家族がいる。でも、お母さんは一人になる。思いを尊重してあげないと悔いが残るんじゃないか」

 勲さんは自宅でベッドから自分で起きようとしたり、身辺整理のため2階にはい上がろうとすることもあった。死の直前、食事係だった愛さんは初めて父親を抱えてトイレに行った。やせ細った体。でも、踏ん張って自分の足で歩こうとする気持ちが伝わってきた。

 鎮静は最期までしなかった。

  ~

 6月25日、勲さんの両親や親せき10人ほどが集まった。

 午後11時40分、ベッドで勲さんが手を広げた。抱き起こすと、閉じていた目をほんの数秒間、大きく開け皆を見渡した。

 「あいさつしたのかな」。不思議な光景だった。

 5分後、静かに逝った。

 黒川さんが化粧を施す傍ら、朝方まで家族で体をふいた。ぬくもりが消えていった。

  ~

 「(夫とは)けんかもよくしたけど、なぜか良い思い出しか浮かばない」。8カ月たった今、浄恵さんは言う。

 「悔いはいろいろあるが、家族で十分やったからでしょうか」。支えてくれた加藤院長や黒川さんの存在も大きかった。

 夫の死を経験し、看護師として患者の家族に寄り添う大切さを強く感じた。自宅でみたくても不安で踏み切れない家族には自分の経験を話す。

 「迷いながら選んだ道も、実は夫が教えてくれたんじゃないかと思う。この経験を伝えろって言われている気がしてるんです」


(注)〓は崎の「大」の部分が「立」
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2010年03月04日 更新)

タグ: がん岡山大学病院

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