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6 難治性 腹水穿刺に涙こぼす

移植までいろいろな治療法を検討してもらった谷岡医師(右)と吉田医師。外来診察や内視鏡治療もこなし連日の激務である

 食道静脈 瘤 ( りゅう ) 破裂の危機は当面、回避できたのだが、困った問題が持ち上がった。

 順調に減っているとばかり思っていた腹水が、一転して、ほとんど横ばい状態になってしまった。岡山労災病院(岡山市南区築港緑町)への入院時よりはずいぶん減少したものの、まだ数リットル残っている。

 静脈瘤の治療時点で懸念していた事態ではあった。肝臓に流入できない血流が逃げ道を求めていたのに、無理やりふさいでしまった。体は新たな 迂回 ( うかい ) 路を探そうとするか、さもなくば、圧力に耐え切れなくなった血管から液体成分の 血漿 ( けっしょう ) が漏れ出てしまう。

  彼方 ( あちら ) 立てれば 此方 ( こちら ) が立たぬ。静脈瘤をつぶされ、 腹腔 ( ふくくう ) 内にあふれた血漿が腹水を増やしているらしい。

 医学教科書には、塩分(状態によって水分も)の摂取制限▽安静 臥床 ( がしょう ) ▽利尿剤の投与―によって、たいてい軽快すると載っている。しかし、私の腹水はとってもしつこいのである。医師はそれを「難治性」とおっしゃる。

 薬はすべからく毒である。利尿剤にも副作用がある。電解質バランスの失調、脱水症に見舞われる心配があり、むやみに増量できない。谷岡洋亮医師も思案顔。「腹水 穿刺 ( せんし ) と再静注をやってみますか」。積極的にお勧めしたくはない、というニュアンスながらも、次の治療法について提案があった。

 たまるのを止められないなら、抜いてしまうしかない。だが血漿に由来する腹水には、アルブミンや血液凝固因子などの貴重なタンパク質が豊富に含まれる。そこで、抜いた腹水を濃縮し、静脈点滴で戻してやろうというのが再静注法だ。

 細菌や細胞成分はフィルターでろ過されるが、医薬品でもないものを直接血管に注入するわけだから危険を伴う。発熱したり、急激な血圧低下からショックに陥ることも考えられる。

 副主治医の吉田将平医師がベッドサイドにエコー(超音波診断装置)を引きずってきた。モニター画面に満々と映る腹水を確認しながら、フェルトペンで右脇腹下に印を付ける。18ゲージ(外径一・二ミリ)の穿刺針は鉛筆の 芯 ( しん ) くらいあり、見るからに太い。「ちょっと痛いよ」と断ってくれたが、差し込む瞬間、両足のつま先がぴくんと跳ねた。

 つつっ、と涙がほおを伝う。三方活栓につながれたカテーテルから、薄い紅茶色の腹水が勢いよくほとばしる。排液バッグに注ぎ込む水音が耳に届く。身じろぎもできず横たわっていると、悲しいような、むなしいような、表現しがたい気持ちがこみあげてきた。


メモ

 針のゲージ 注射針や留置針などの太さ(外径)は国際標準化機構(ISO)規格に統一されている。G(ゲージ)ナンバーが小さいものほど太く、10Gは3・3―3・4ミリ。テレビコマーシャルに登場する世界一細いインスリン用注射針は33Gでわずか0・2ミリ。針の根元はGによって色分け(カラーコード)されている。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2009年05月18日 更新)

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