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旭川荘創立50周年対談(下) 自立への訓練、指導体制整備

開設当時の旭川荘=昭和32年撮影

 越宗「重症心身障害児に施設を」「善意の建設資金を募る」と見出しがあり、「二十万円 山陽新聞社」「二十万円 山陽新聞社会事業団」として最初の寄付をしたことを示しています。そして社会面に「社会の片すみに 心身障害者に愛の手を」の連載記事が始まった。

 江草 これから、岡山県愛育委員会、黒住教青年連盟など県内から中四国へと募金の輪が広がっていった。新聞の力はすごかった。とりあえず、旭川学園に愛育寮という重度棟を開設、その二年後に旭川児童院を開院した。

 越宗 山陽新聞に千四百万円近い寄付金が集まりました。江草先生の熱意、山陽新聞の報道力、岡山県民の善意が一つになって重症児施設ができた。山陽新聞は一連のキャンペーン記事で日本新聞協会賞を受けました。

 江草 節目、節目で県民のご支援をいただき大きくなった。これも他の社会福祉法人にはないことです。旭川荘の大きな特徴です。

 越宗 次の節目は昭和五十六年の国際障害者年。「完全参加と平等」がスローガンでした。障害があるからといって地域の小学校へ入れない、就職できない、結婚できない、ということではいけない。障害があっても進学し、バスに乗り通勤し、地域で暮らすノーマライゼーションの考えが主流になったんですね。

 江草 施設は地域で生活する障害者をサポートする拠点になることが求められた。

 越宗 そのノーマライゼーションを提唱する世界的指導者がデンマークのバンクミッケルセン。彼にインタビューするため江草先生に同行をお願いしコペンハーゲンへ行きました。

 江草 当時は社会部の越宗記者としてでしたね。デンマーク厚生省の障害福祉局長の部屋で、写真を取り、彼の話すことをメモされていました。

 越宗 施設を出て、地域社会の一員として暮らす。施設整備に追われていた日本から見ると、彼の発言は新鮮でした。

 江草 その後、ドイツ、ベルギー、オランダ、フランスなどで障害者福祉を取材し、帰国後、国内の現状、課題などを連載記事「あすの障害者福祉」にまとめ、国際障害者年の日本新聞協会賞を受賞された。

 越宗 旭川荘は昭和六十年、理事長交代があり、川崎名誉理事長、江草理事長、堀川荘長の新体制になり、江草先生は地域福祉、ノーマライゼーションの実現へ取り組まれました。

 江草 作業所、通勤寮、生活ホームなど仕事をし、社会人として自立できるように訓練、指導し、サポートするよう体制を整えた。障害者が働く会社トモニーを設立しました。

 越宗 中国、韓国、タイ、フィリピンなどの保育士、看護師、医師らを受け入れ、介護、医療の技術指導を行っていたが、平成になるとさらに福祉の国際交流に力を入れられた。「福祉の翼」訪中団がチャーター機で上海市を訪問されました。

 江草 福祉の翼はそれから毎年続いています。中四国の福祉施設職員、ボランティアが参加しています。その後、上海市には日中医療福祉研修センターを開設、高齢者介護教員養成講座を開講し、高齢化が進む中国で介護の人材育成の核になる人たちを養成しています。

 越宗 この五年間では国、県、市など行政の要請で病院、施設、診療所などの業務委託を受けています。旭川荘の医療福祉の実績が評価された形です。

 江草 岡山県の情緒障害児短期治療施設津島児童学院、身体障害、知的障害の施設がある県立おかやま福祉の郷、愛媛県の南愛媛病院、北宇和病院、高梁市、井原市の診療所などを移譲されたり、指定管理者になって運営しています。

 越宗 広域化に伴う体制強化へ三支部制にしたのですか。

 江草 はい、本部と備前、備中、愛媛支部。地域の事情もあるでしょうから、臨機応変に対応できるようにしました。グループホームを入れると全施設数は七十になります。

 越宗 川崎先生は「三粒の種をまいた」と言われ、五十年前、旭川療育園、旭川学園、旭川乳児院の三施設で発足したのですが、愛媛県から上海市までに施設、病院、研修センターを持ち、まさに多様化、広域化、国際化の実現に取り組まれた。しかも、旭川荘の医療福祉の実践から江草先生が開学時の学長になり川崎医療福祉大学が誕生しています。

 江草 多くの仲間が日々研さんし、療育システムとしての医療福祉、学問体系としての医療福祉学を確立することができました。

 越宗 最近、旭川荘を訪ねて建物が一新されているのに驚きました。岡山市の西大寺地区に厚生専門学院の吉井川キャンパスができていますし、まさに第二の創業とも言える印象を持ちました。

 江草 耐震耐火構造への建て替えです。歴史を伝えるものを残そうと旧事務局の建物を資料館にし五十年の歩みのゆかりの品々を展示しています。

 越宗 この四月、理事長交代を行い、江草名誉理事長・荘長、末光茂理事長となられました。

 江草 末光さんは四十年間精神科医として旭川荘に勤務し、旭川児童院長、常務理事、専務理事、副理事長として堅実に仕事をしてきたので、理事長として思う存分やってほしい。私は名誉理事長・荘長、理事として支援したい。

 越宗 新しい五十年の歴史をつくるため、江草先生のさらなるご奮闘、末光先生のご活躍を期待します。
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2007年05月14日 更新)

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