文字 

(7)肝がん 天和会・松田病院 松田 忠和院長(62)

自宅にいるより手術室にいる時間の方が長いかもしれない。「手術衣は落ち着く」と笑顔を見せる松田忠和院長

「地元で切除を」志貫く 手術死17年間ゼロ

 肝切除手術から6日目。ベッド上で女性(56)は「生」をかみしめていた。

 転移性肝がんが大きくなり、総合病院で1年4カ月あまり、つらい抗がん剤治療に耐えたが、一向に好転しない。主治医から「がんは難しい位置にあり、切ることもできない。緩和ケア病棟を紹介します」と告げられた。

 親族に勧められ、いちるの望みを託して診てもらった松田忠和院長は、穏やかな笑みを浮かべ、手術できると請け合ってくれた。女性によると、「今でも本当だろうかと思うほど、ずばっと決断し、はっきり言ってくださった」そうだ。

 手術は成功し、がんはきれいに取り切れた。肝臓の3分の2以上を失ったが、残された部分の予備能はしっかり保たれており、ぐんぐん肝細胞が再生中。女性は退院して、もう一度家族と暮らせる日を待ちわびている。

 松田は駆け出しの1974年に出会った患者のことを、今も忘れない。やはり転移性肝がんだったが、岡山では切除手術を受けることができず、京都に赴いて命を救われた。

 肝臓を巡る血管の鋳型を取るとすると、肝臓の形がそのまま浮かび上がる。肝臓は血液の塊のような臓器だ。でたらめにメスを入れれば出血が止まらず、患者はたちまち命を落とす。当時の肝臓外科は黎明(れいめい)期。まだ肝がんに対する切除手術は少なく、5年生存率は1%にも満たなかった。

 それだけ難易度が高く、挑戦する外科医が限られた時代。松田は「地元で肝切除ができる医師になりたい」と志を抱いた。

 勤務医、母校の岡山大医学部第一外科を経て、85年、父が営む松田病院に移った。交通外傷や労災事故に対応する救急病院だったが、肝臓を中心とする消化器外科の専門病院へ移行。院長を継ぎ、還暦を迎えた今も、毎日の外来とともに週2日、手術台に立ち、10時間を超える大手術も黙々とこなす。

 「決して手術が器用な方ではない」と謙遜(けんそん)するが、新しい術式が発表されれば研究を重ねて取り入れる。「頭の中でちゃんとイメージをつくればできるものです」。進取の気概は衰えない。

 何より、手術死(手術から30日以内の死亡例)をこの17年間出していない。近年、肝臓外科が飛躍的に進歩したとはいえ、肝胆膵(かんたんすい)分野で年間100例近い開腹手術を行う施設として、どこにも引けを取らない成績だ。

 メスを執るだけではない。松田はがん腫瘍(しゅよう)が栄養を取り込む肝動脈に細い管(カテーテル)を挿入して血管をふさぐ肝動脈塞栓(そくせん)術(TAE)、特殊な針を刺して電磁波で腫瘍を焼くラジオ波焼灼(しょうしゃく)術(RFA)も自ら手がける。

 放射線で体内を撮影しながらカテーテルや針を進める治療は、IVR(インターベンショナル・ラジオロジー)と呼ばれる。現在は放射線科などの専門医が行う場合が多いが、松田はまだカテーテルが普及していない70年代、神戸まで出向いて輸入材料を買い付け、カテーテルを自作してTAEを行っていた。

 岡山大第一外科の医局員時代、若き松田は当直室の片隅で靴を履いたまま横になり、1カ月以上家に帰らなかった。三村久助教授(後に医療技術短大部教授)らとともに、来る日も来る日も犬を使って肝臓移植の実験に取り組んだ。

 累計250例を超え、日常の医療として定着した岡山大病院の肝臓移植は、尊い実験動物の犠牲と、松田たち先人が積み上げた経験に支えられている。

 今は宿直室で寝る必要こそなくなったが、自宅は病院に隣接しており、緊急IVR手術が入れば夜中でも真っ先に呼び出される。スタッフを集め、15分以内に手術を始める。

 「手術が好きだから続けられるんでしょうな。生きていけるかどうかは天命による。私たちは手術がうまくいくよう、ベストを尽くすだけです」

 一日一日、天に恥じるところがないかを自らに問い続けている。

  (敬称略)

---------------------------------

 まつだ・ただかず 岡山大医学部卒。水島第一病院勤務などを経て同学部第一外科助手を務め、1985年から松田病院に勤務、2004年に院長・理事長就任。09年日本対がん協会岡山県支部長感謝状、松岡良明賞受賞。多忙の中で読書は欠かさない。


---------------------------------

 肝臓の再生力 ギリシャ神話では、プロメテウスはワシに肝臓を食われる刑罰を受けたが、肝臓は1日で再生し、毎日激痛に耐えなければならなかったと伝えられる。古くから肝臓は再生力に富む臓器であることが知られていた。健康な状態の肝臓は70〜80%を失っても再生するとされている。

 肝動脈塞栓術(TAE) 肝臓には門脈と肝動脈の両方から血液が流れ込むが、がん細胞は主に酸素の豊富な肝動脈から栄養を得ている。TAEでは小さなゼラチンスポンジをカテーテルで肝動脈に詰め、血流を絶ってがん細胞だけを兵糧攻めにする。ゼラチンスポンジは治療効果発揮後、自然に溶ける。

 外来予約 松田院長の外来は月、火、水、金、土曜日の午前中。原則予約制(電話086―422―3550)。

---------------------------------

松田病院

倉敷市鶴形1の3の10

ホームページ

http://www.kct.ne.jp/~matuda02/
※登場する人物・団体は掲載時の情報です。

(2010年11月01日 更新)

カテゴリー

ページトップへ

ページトップへ